子どもの頃の遊びの思い出
                        田辺雄司
 私が子どもの頃(昭和のはじめ)は勉強は学校でするもので、とくに家でやるものではないという考えだったように思う。親もそういう考えであったと思う。
 当時は、学校から帰ると空の弁当箱をミンジョ(台所)に投げ出して、自分の箱膳の中から茶碗と箸を出して、ご飯を山盛りにして、そのうえから冷たいお汁をかけて2杯ほど食べてから、石油ランプのホヤ磨きをする。
 それから座敷の板の間の雑巾がけ、それから庭を掃いてから友達の所へ遊びに走った。そして、友達と今日の遊びを決めるのだった。
 そのころの遊びは、玉転がし(ビー玉)が人気があったが、ガラスのビー玉はなかなか買えないので自分で作った。田の畦の柔らかい土を採ってきてよくこねて玉をつくる。それを数日陰干しにしてヒビが入らないように乾かす。時には、クレヨンで色を塗って色をつけることもした。
 ビー玉の遊びには、地面に置いた相手の玉に立った姿勢でねらいを定めて落とす「目落とし」という遊びもあった。
 そのほか、ズングリ(こま)を杉やケヤキの枝を輪切りにして、各人が工夫して作り、それを相手のコマと回しながらぶつけ合う遊びもあった。コマはよく回ると、うなりを上げて静止して回った。この状態を「コマが澄む」と言った。
 また、山から山竹(ネマガリタケ)を切ってきて弓をつくった。矢はカヤの穂の柄の部分が丈夫なのでそれを折ってきてつくり、飛ぶ距離を競い合った。それから「石ビヤ」と呼ぶ遊び道具でヤマモミジなどのY字形の枝を切ってきてゴムをつけて作った。その他、水鉄砲、紙鉄砲なども作って遊んだ。
 秋になるとカライモ(キクイモ)の茎の中のスポンジ状の芯を取り出してそれを口に含み、だれが遠くまでとばせるか競争して遊んだ。いずれもお金のかからない遊びばかりだった。
イタチ捕り箱のつくり

 ただ、イタチを捕らえる箱を作るときにはたくさんの釘がいるので、家の釘箱から親たちの目を盗んで持ち出しておいて作った。イタチ捕りの仕掛け箱は適当な厚い板が必要であり材料探しが大変だった。
 仕掛けは図のような箱を作り、ヤマダケを切ってきてバネにして、ふたを開けたときにヤマダケが曲がりバネとなりイタチが箱に入ってエサを食べると、はねてふたを落とす仕掛けであった。当時はイタチは一匹50〜20銭で買ってもらえたので捕らえると大人もほめてくれたものだった。