冬の暮らしの思いで
                     田辺雄司
 今も昔も変わりませんが、11月になり霰が降る頃になると日も短くなりも、何となく子ども心にも心細い気持になったものでした。
 しかし、夏の間は父母は田畑に出かけて働いているので、一緒に家で過ごすのは朝晩だけですが、冬は1日中家にいるのでうれしいことでした。
 降雪前の初冬の山に出かけますと、広葉樹が多い石黒の林の中は明るくなり、歩き回るとガサガサという音が静かな林の中で響きます。障子紙のように白く半透明になったコシアブラの葉が目を引きます。
 
           早春の村
 山兎(ノウサギ)は褐色からだんだん白色に変わってきます。外敵から身を守るために神様がそのようにしてくださったのだと母から子どもの頃に教えてもらったことを憶えています。
 昔は、この時期になってもイネニオ(ハサから下ろしたイネを屋敷に積んでおく)がある家があり、毎日脱穀に精を出す家もありました。また、土臼で籾を挽いて米にしている家もあり、イス(石臼)で粉を挽いているいる家もありました。
 また、 この頃は、家の周囲の縁の下に隙間を風防止のためワラ束でふさぎ、庭木の冬囲いなど色々仕事がありました。
 家の周りの窓にはすべて落とし板をはめ何時降雪となってもよいように万全を期さなければなりません。落とし板をはめると急に家の中が囲炉裏の火が赤々と見えるようになります。囲炉裏には1日中火を絶やさず大きな茶釜が煮立つ音が何時も聞こえました。祖父母は囲炉裏端でクイゾ(大きな丸太の薪)を突つつきながらお客とお茶を飲んでいました。
 時には、ミソキッチョ(ミソサザイ)という小さな鳥が家の中に入り込んできて天井の梁の上を飛び回るので煤が落ちて汚いので、追い出そうとするのですが、なかなか出てくれません。そんな時には祖父はワラを燃やして煙を充満させるとようやく外に逃げて出たものでした。
 仕事の内容はそれぞれの家によってまちまちでしたが、どこの家でも1か月遅れの正月前にやる仕事を決めて一生懸命に働いていました。
 12月の下旬に入るといよいよ煤掃きや正月の御馳走などの準備に取り掛かります。
 こうして、いよいよ正月を迎え小正月が過ぎると、もう現在の2月の下旬ですから、少しずつ春の気配がしてきます。雪も水分の多いミズユキ(水雪)となり時々雨の日もありますが、寒が戻ったかのような寒い日もありました。
 ときには晴天の日もあり、そんな日にはどこの家でも庭先の雪の上に竿を立てるなどして縄をはり洗濯ものを干すのでした。子どもたちは朝早く、一面に凍みて堅くなったヤブ(雪原)を藁ゾリ木ゾリに乗ったり、手製のスケートを履いたりして遊んだものでした。
 しかし、3月半ばになると気温が上昇するため地表の空気が残雪に冷やされて霧が発生しました。残雪の村の家々が春の霧につつまれた風景は、私たちが待っていた春の幕開けのような風景でした。
 春の陽に手を合わせて無阿弥陀仏と感謝の気持ちを表す年寄りもいました。それほど豪雪地帯の石黒の春は、そこに暮らす人々にとってはうれしくありがたいものだったのです。