クワ
暮らしとの関わり
 昭20年代には石黒では大半の家で蚕を飼っていたので蚕の餌であるクワが田畑や屋敷の周りに植えられていた。
 現在はヤマグワとともにマグワと思われるものもあるが、本ページの画像は同定できないものもあるので表題は「クワ」とした。今後、改善したい。
 蚕用のクワは改良種であまり結実しなかったが、村中どこにでもよく実のなる桑の木はあった。→四季の農作業
 子どもたちにとってクワの実は最も身近にある美味なおやつであった「夕やけ小やけの赤とんぼ・・・山の畑のクワの実を小篭に摘んだはまぼろしか・・・」この唱歌の歌詞とともに甘いクワの実の味をなつかしく思い出す人も多いだろう。ちなみにそのころから稀に白い果実があったが、今調べてみるに「クワ実菌核病」によるものであるとのこと。→参考画像
 また、クワの葉は天ぷら用の食材としても使われた。ほのかなクワの香りがしてパリパリとした歯触りもよかった。
 その他、クワの皮の繊維を使って衣服を作るために、太平洋戦争前後には学校で夏休みの宿題にクワの皮採りがあった。→子どもの暮らし
 しばしば大木になったクワ(下写真)に出会い驚くが、クワはもともと高木に属しいるが、蚕の餌にされていた頃には絶えず切り取られていたため低木化したものである。
 石黒の山で見られる大木も同間隔で生えていることが多いのはかつては栽培していたものであることを物語るものであろう。
 大寒の最中、昨日(2015.1.26)は小春日和で気温も℃14まで上がった。久しぶりに畔屋方面の山に出かけた。途中藤井の鯖石川沿いで桑の巨大木に出会って驚いた〔下写真〕。
 筆者の子ども時代(1940年代)は養蚕が盛んでカイコの餌に使われるクワの木はふんだんに見られたが高さ2mを越えるものは見当たらなかった。自然、クワ=低木という観念が植えつけられてしまったので、このような大木を見ると桑の木の化け物でもみたように驚嘆してしまう。しかし、右解説のとおりクワは落葉高木なのである。このような思い込みは人間には意外に多く見られるものであるかも知れない。
 クワの葉を利用した養蚕の歴史は、弥生時代に中国から朝鮮半島を経て伝わったとみられている。そして、20世紀初頭には世界一の生産国となり20世紀半ばまでは日本全国的な産業の一つであった。自然、クワの木も貴重な樹木であり昔から、四木(桑、楮、漆、茶)の筆頭にあげられていた。
 
(写真上・右下2005.9.17下石黒 右上2005.5.12落合 )


               果実期

         

           芽吹きの頃の大木

撮影日2005.5.22.大野

              クワの巨大木

写真2015.1.26藤井


解 説
クワ科
 日本全土に自生する落葉高木。高さ7〜10m、幹の径60pに達するものもある。雌雄異株
 蚕の食草。現在見られるものはヤマクワと栽培種のマグマである。
 養蚕のための木は刈り取るため長大にしない。しかし時には深山にいくと大木に出会う。〔参考画像〕
 樹皮は淡褐色、葉には深い切れ込みがある(変異に富む)。
 花期は4〜5月。淡黄緑色の花をつける。
 果実は熟すると黒くなり味は甘い。
 樹皮の繊維は強く、太平洋戦争中には衣服を作るために供出をさせられた。
 名前の由来は食葉〔クワ〕、または蚕は〔コハ〕が語源とする2説がある。



        雄花
撮影日2009.6.3.寄合

        雌花
撮影日2012.5.5.下石黒

       大木

撮影日2005.5.22.大野

      冬芽と葉痕
写真2015.1.26藤井