カラムシ
暮らしとの関わり
 石黒では、「オ」と呼んだ(古代の文書にオの呼び名が見られると聞く)。オは、昔は、越後縮布〔補記1〕の材料として石黒でも盛んに栽培され、今でもオバタケ〔オ畑〕などの地名が残っている。ちなみに、石黒と門出の290年間にも渡る山争論の舞台となった入会地には一町歩余の苧畑があったことが当時の文書からわかる。→寄合入会地の青苧畑
 のみならず、石黒の隣村である旧東頚城郡松代町には、「苧(お)ノ島」というの地名が残っているが、これは、カラムシを栽培した名残であるという説もある。
 長岡市立図書館編集の反町茂雄の「越佐郷村の古文書」にも天和検地における石黒村の青苧石高と白布石高の記載が見られる。→参考資料
 苧績みや縮織は、石黒では深い雪に閉ざされた冬の女衆の仕事として昔から盛んに行われてきた。当時、青苧や布に織った製品を仲買人に売り渡した記録や御献上縮の古文書を今も見ることが出来る。
参考資料→縮集荷覚
参考資料→御献上縮の古文書
 古老の話によると、昔、栽培していたカラムシを石黒ではチョマと呼び今日野生で見かけるカラムシよりも茎が太く高かったという。しかし、確かなことは分からない。昔は栽培種もしくは野生のものも収穫を前提にし大切に育てたために大型化したものとも考えられる。(平凡社の「日本の野生植物」によれは、「チョマ」は、カラムシとナンバンカラムシを含めた総称)
 今日でも道路沿いなどにカラムシが繁茂している光景は石黒では普通にみられる。留意して見ると、葉の形、葉柄の長さなど多様であるが、カラムシとナンバンカラムシを見分けることは筆者にはできない。ちなみに、WEV上の百科事典ウィキべディアではカラムシを独立種扱いにせずナンバンカラムシの変種としているようだ。
 また、石黒では昭和中頃までカラムシは繊維は強靱なので、どこの家でも毎年、苧〔青苧−不純物を取り去ったカラムシの皮〕を自家で作って保存しておいて使った。オ縄にしたり、荷縄(荷背負い縄)に入れ強化をはかるなど色々な用途があった。→衣食住−苧
 その他、昔は繊維をとった後の茎を乾燥させたものを「トボシ」と呼び囲炉裏からカマドに火を移す時など焚きつけに使った。
参考資料→トボシ
 その上、葉も染料として使われたという。先年、カラムシの葉で染めたマフラーを見せて頂いたが素敵な色合いであった〔下写真〕

 しかし、
今日では家や畑の周りの雑草の中で最も生育が旺盛で厄介な雑草でもある。
 年によっては、フクラスズメなどの幼虫が大発生して葉をすべて喰われてしまうこともあるが1ヶ月足らずで新しい葉を出し揃える様をみるとその生命力に驚かされる。→参考写真

(柏崎市は平成19年に柏崎七街道観光資源価値向上事業の中に石黒地区を「からむし街道」と指定し、毎年カラムシ街道イベントが行われている。)
 古文書用語に「四木三草−シボクサンソウ」という言葉があるが、三草の一つの麻は、広義の意味で使われており、カラムシ(苧麻)を含むものと筆者は解釈している。詳しい方がおられたらご指導を仰ぎたい。
参考資料→カラムシ街道市の名前の由来について

(写真上・右下2005.8.31落合 右上2005.9.12下石黒 )


        道路沿いに繁茂するカラムシ

撮影日2008.8.30下石黒

               小群生
撮影日2005.8.29下石黒

           採取適期のカラムシ
撮影日2007.7.18上石黒

       秋風に葉裏を見せるカラムシ

撮影日2008.9.9下石黒

      カラムシの根茎と地中枝

撮影日2009.5.14下石黒 

        カラムシの花つきかたと拡大写真
お花 め花
撮影2007.9.5下石黒

               
 晩秋のカラムシ

写真2014.11.30下石黒


写真2015.11.19上石黒

             
冬のカラムシの枯れた茎

写真2014.1.16下
石黒
       

資料→青苧

資料→青苧から糸が出来るまで

資料→縮布染色改良証)

青苧高・石高等比較一覧表

解 説
イラクサ科
 北海道を除く全土に生える草丈1〜2mに達する多年草史前帰化植物で6千年まえから栽培されたともいわれる。
 主に集落内の人家に近いところに多く見られる。
 根茎は木質でまばらに太い地中枝を伸ばして一カ所に群がり旺盛な繁殖力をもつ。(左下写真)
 葉は、互生し葉柄が長く、軟毛が密生し、下面には柔らかな白い綿毛が生えているため白銀色である。(左下写真)〔※この毛の生えていない種は「アオカラムシ」と呼ぶ。〕
 花期は7〜9月。花は地味で、葉の陰に隠れるよう咲く。上部の葉のつけ根に雌花がつき、下方に雄花がつく(左下写真)。
 雄花には4個の花被と4個の雄しべがあり、雌花の2個の花被は合着して子房を包み込み果実期まで宿存する(右下写真)。
 そう果〔熟すと果皮が乾燥するが皮が割れて開かない果実〕は長さ0.8oでおびただしい数がつく。
 カラムシは真に自生のものかどうかは分からず、古くから繊維を利用されるために、大陸から持ち込まれ栽培されたものが野生化したものとであろうといわている。
 名前の由来は皮のある茎(カラ)を蒸して皮をはぎとることによる。→「乾蒸(カラムシ)」



    カラムシの若芽


撮影日2009.4.18寄合

    カラムシの葉の裏表
撮影日2005.8.31寄合

    カラムシの雌花

    カラムシの雄花

撮影日2005.8.29落合

   地中に伸びる走出枝

撮影日2009.5.8下石黒

    太い根茎

撮影日2015.5.2下石黒

   カラムシの果実

撮影日2008.11.4寄合

   皮を取る前の水漬け
撮影日2013.7.5下石黒


  
カラムシから紡いだ糸


     作者大橋美恵子

カラムシの糸で編んで草染めにしたマフラー

作者 大橋美恵子


 紙の原料ともなったカラムシ
 前漢時代(紀元前202-)の遺跡から麻や苧を材料にした「麻紙」が発見されているといわれる。
 当時、麻紙は丈夫で重厚であるため重要な文書や写経用の紙に使われたと伝えられる。その上、和紙の害虫の紙魚がつきにくいという長所もあった。一方、紙肌が荒く表面を加工しないと墨筆ののりが悪く一般の書状には使われなかったという。
(※参考文献 国史大辞典)