昔の稲こき道具       田辺雄司

 昨年11月に柏崎市博物館主催で藁を主題とした展覧会画開かれました。その折に、博物館の民俗担当の方から、石黒の昔の暮らしホームページ編集会からの紹介があったので、藁で作った昔の民具を、出来れば自分で作ったものを出品してほしいとの要望がありました。それで、私は、自分たちが小さい時に作って遊んだものを何点か出品しました。
 

 この時に出品した一つに遊び道具ではないのですが、私が子供の頃に父が作っていた稲こき道具を作りました。これは、火箸の木(タニウツギ)の真っ直ぐな枝を40〜50cmくらいの長さに切り取り下の図のように組み立てて5本の棒が少し開いた状態になるように作ります。
 使い方は、乾いた上から稲穂を通し、通したら片手で先端を握って隙間を狭くして片手で稲をしごくように引っ張ると稲モミが穂から離れてパラパラと落ちるという仕組みです。
 これは江戸時代中期まで使われた扱き箸(こきはし)を少し改良したものですが、石黒では昭和の初めにはまだ使われていたのでした。しかし、鉄製の千歯こきの普及後は姿を消しました。(※補説)

 
※補説 江戸時代中期以降、「こき箸」に代わって「千歯こき」が普及し十倍の能率が上がるといわれた。その結果、こき箸で生計を支えてきた寡婦の仕事を奪うことになり、千歯こきのことを「後家倒し」とか「やもめ倒し」とも呼んだほどであった。
 江戸時代の農業技術は耕起用具よりも、この千歯こきの出現によって脱穀以下の過程に大きな改良が見られた。
 千歯こきは明治・大正期まで主要脱穀用具として用いられ大正期に足踏み脱穀機が出現するまでは稲や麦の主要脱穀用具として使用された。(編集部)  
        (参考文献−国史大辞典)