苗取りの手伝いの思いで
                          田辺雄司
 当時(昭和のはじめ)はどこの家でも、6月の初めから始める田植えを念頭において苗代の雪消しや苗代作りの仕事を進め4月の末から5月の初めに一斉にスジマキを行ないました。
 それから1ヶ月余りは畔塗り、田打ちや田かきなど仕事に追われます。
田のまわりに咲くタニウツギ

 そして、ようやく田かきが終わる頃になると、苗もほどよく生長しています。
 6月6日は居谷集落では「マンガ休み」と呼び昔から農休日となっていました。人も牛馬も田打ちや田かきの連続で疲れ切っているので一休みという生活の知恵から生まれた慣習でしょう。
 しかし、牛馬は休ませても人間はのんびりと家でやすんでも居られない時季なので、田植えを控えての苗取りなどはこの日にやってもよいことになっていました。
(※田かきや田打ちは決してしなかった。昔、マンガ休みの日に馬を使って田かきをした人がいたが、数日後に大雨が降り、そこの家の田だけが被害をこうむったという言い伝えがある)
 苗取りは、トウド(手伝いの人)を頼んで行ないました。近頃ではそんなこともありませんが、当時はこの時季に寒気が入り寒い日がありました。そんな日には家からワラを数束持っていって苗代のクロ(畔)で燃して手足を温めたものでした。また、家から囲炉裏で沸かしたお湯を茶釜のまま田まで運び、熱いお茶を飲んで体を温めたのでした。
 田のまわりにはタニウツギの花が咲き、しきりにホトトギスの鳴き声がするころでした。
 子どもの手伝いは、大人がとった苗をハコモッコに載せて田のクロ(畔)に運び出して10束を一まとめにして分かるようにまとめて置く作業でした。
 当時は、田一坪に3束の苗が必要と言われ、一反歩の田に植える苗は300束用意しました。私たちが畔にまとめて置いた苗を父がそれぞれの田の広さに応じて配っておくのでした。
 夕方まで、手伝いをすると疲れ切ってしまい夕方、家に帰ると地炉に足を入れたまま横になって眠ってしまうのでした。夕飯の時に起こされて夜明け前と間違えて
「バカ野郎、今、夜だがなぁ。はやく夕飯食べて寝ろ」
と言われお膳に向かうのでした。当時の夕飯のおかずはタクアン、大根干しの煮付け、和え物などでしたが、とても美味しかったことを70年たった今も憶えています。
 夕食後は、疲れているため風呂にも入らずにフトンに入って再び眠ったものでした。