ハサ作りと稲かけの手伝い
          〔昭和25年頃の様子〕

 9月15日の十五夜祭りが終わると、村人たちはハサ作りを始める。
 石黒では立木を利用したハサが多かったのでハサ木の周りの掃除が最初の仕事であった。この作業を「ハサ場なぎ」と呼んだ。
 ハサ木の周りの草や低木を切り払って片付けるとさっぱりとした感じの場所になった。
 ハサ場ナギがおわると、いよいよハサ作りに取りかかる。 仕事の順序としては、まず横縄を張るのだが、縄の端を一番端の木に下から上へ等間隔で結わえ付ける(下図参照)。
 それから結わえつけた横縄を下段のものから一本ずつ数本のハサ木を縫うようにして通して行くのが子どもの私の仕事であった。
 ハサ木は杉が多かったが、中には直径50p以上もあるものもあった。それが崖っぷちの様な場所に生えているため縄を木の外側に回すのは容易ではなかった。
 こうして木々を通した縄はもつれないように注意して一本ずつ重ねて置いた。
 その縄を今度は父がもう一方の端の木にハシゴをかけて上の段からぴんと張ってしっかりと結わいつける。そのときに縄が木と接した部分の何カ所かを棒(俣木)の先で押し上げないと平らに張る事は出来ないので私が押し上げる役であった。
 そして、十数段の縄を全部張り終わると、父が横縄が木に接した部分を縄で結わえて固定した。この結び方は「ハサ結び」という一種独特の結び方であった。
→ビディオ資料−ハサ結び
 それが終わるとタテ縄を下ろす。そのときは横縄が稲の重さで垂れないように間隔の広い場所は、ハサ木の上の方から釣り縄をして、それを各段の横縄に一巻き〔動かないような巻き方〕して止めながら最下段まで下りる。〔下図参照〕
 こうしてハサができあがると刈った稲をハサ場まで運ぶ。ハサは風通しのよい高い所に作ったので、そこへ稲を背に担いで運ぶことは大変な苦労であった。急斜面の小道を道端の雑木につかまりながら這うようにして背負い上げなければならない所が多かった。
ハサタテ縄のかけ方

 こうして運んだ稲をハサにかける。稲束をハサにかけるときには稲束の中央を両手に握り分けて力を入れて二つに裂くようにして広げてかけることが風通しをよくするために必要であった。
 下から三段ほどは地上で稲をかけることが出来たが、その上はハシゴを使って1人がかけて1人が稲を投げ渡した。この稲を投げ渡す仕事も私の役目であった。
 しかし、小学生の子どもにはコツを覚えるまでは10段以上あるハサの最上段まで投げることは容易ではなかった。左手で稲束の結び目あたりを軽く持って右手で穂を下からすくうように持って、上下に2、3回反動をつけて投げるのがコツであった。
 私は、小学校5年の時に11段のハサの上段まで投げ渡せないで父に叱られ泣きながら何度も投げたことを忘れない。今も、そのハサ場の脇で畑をしているので、そのハサ木を見るたびにそのときの事を思い出している。
                        〔文 大橋寿一郎〕