セイジョ
  昔、セイジョという子どもがいたってや。
 セイジョは、そらぁ元気のええ子で山へ行って遊ぶことが何より好きだったと。
 時には、隣村のそのまた隣村の山まで出かけて行って遊んだってぇや。雨が降っても風が吹いても、セイジョは山で遊ばないと承知しねぇ変わった子だったと。
家のもんは、そんげなセイジョが山奥で、はぐれたりしねぇかといつも心配していたと。
 それは、その冬一番の荒れことの日だったってゃ。セイジョは、家のもんが行ぐなと止めるのも聞かんで山へ出かけたと。
 その日は朝から晩まで目も開けていられんような吹雪が続いたと。
 夕方になってもセイジョが帰ってこねぇので家のもんは心配したと。外に出てみると、ものすごい吹雪で探しに出かけることもできねぇかったと。
 とうとう、ようさりになったけど、セイジョば戻ってこなかったと。 
 家のもんは心配でまんじりともできず、次の朝げ、吹雪がおさまるのを待って、村の人も頼んでセイジョを探しに出かけたと。だども、めっからんかったと。
 次の日もその次の日も探しに出かけたども、やっぱりめっからんかったと。 
 それでも、家の人はあきらめることができず、毎日毎日セイジョを探したってや。
 一週間が過ぎ十日が過ぎたがやっぱしセイジョはめっからんかったと。
 家のもんは、きっとセイジョは山でフブキドリ(吹雪による遭難)して死んでしまったのだろうと半分あきらめたと。
 そんでも、思いもかけず元気でセイジョが帰ってくる事を期待しながら、毎日、待っていたと。
 だども、一ヶ月が過ぎてもセイジョば戻ってこなかったってや。
 家のもんは、とうとうセイジョは死んだもんとすっかり、あきらめてしまったと。

ところが、三ヶ月ほどたった春の日の夕方、くたびれ切った顔をしてセイジョが帰ってきたと。
 家の人はエメ(夢)ではねぇかと喜んだと。家のもんが、セイジョに今までどこに行っていたのかと聞いても一言も答えず、
 「もし、おれがこうして帰って来たことが嬉しいんなら、一つ頼みがある。おれが夜さり寝ている時は絶対に姿を見ないでくんなせぇ。」と家のもんに頼んだと。
 家のもんは、かわいい我が子の頼みだから、決して見ねぇと約束したと。
 こうして、半年ほどたった頃、家のもんは、セイジョの頼みが不思議でならず、そっとのぞいて見たくなったと。
 ある日のようさり、セイジョがぐっすり寝込んだ真夜中に、そっとセイジョが寝ている部屋の戸を開けて提灯をかざして見たと。寝床のセイジョのツラを見た家のもんは腰を抜かすほど驚いたと。

 部屋の布団に寝ていたのは、猪の鼻とオオカミの耳、そしてモモンガの目と口をした化け物だったと。
 家のもんに姿を見られた事を知ったセイジョは、その日の夜明け前に、姿をくらまして二度と家に帰って来なかったと。
           文 大橋フサ子  絵 竹内雅子

※セイジョは、怖い昔話として子供たちに人気があった。吹雪の日には、「セイジョが来る」などと言われ、トマグチ(玄関)で名前を呼ばれても、すぐに戸を開けるものではないなどとも言われた。


          
スズメとケラツツキ
 昔々、天竺で、おしゃか様が亡くなられたとき、人間ばかりか、けもん(獣)や虫けらまでが、そらぁ、悲しんだってや。
 人間は勿論、象、虎、いのしし、たぬき、きつね、くじゃく、鷹、カラス、スズメ、シャカエブ(カケス)などの動物や、トンボ、カマキリ、ゲジゲジなどの昆虫まで、ありとあらゆる生きもんが悲しんで遠い天竺に向かったと。
 スズメは、お釈迦様が亡くなった告げをもらったとき、ちょうど朝のお歯黒をしていたんだってや。
 信心深いスズメは、お釈迦様の死を知ると、お歯黒ももそこそこに、着の身着のまま、すぐにお釈迦様のもとに飛んで行ったと。お陰でスズメは一番乗りでお釈迦様のところへ行き着くことができたってや。
 ところが、ヘンナシコキ(おしゃれな)のケラツツキは告げをもらうと、タンスからいろいろな着物を出して、鏡の前で衣装あわせをして着飾って出かけたと。とうとうケラツツキは一番遅くお釈迦様の所へ着いたと。
このことがあってから、信心深いスズメは、一年じゅう穀物を食べることが許され、信心の浅いケラツツキは、一年じゅう堅い木の幹をつっついて虫けらを探さなければならんくなったのだってや。
 よおく、見てみろや。スズメは羽の色も地味だし、くちばしのあたりから染粉がたれているのがわかるだろう。それからケラツツキの羽は赤や白黒の模様があってとてもきれいだろう。

  
          
長い話
(子どもに長い話をせがまれた時にする昔話)
よし、じゃあ、長ぁい話を聞かせよか。
 昔あるところに池があったってや。
 池の縁に、それはそれは、でっけぇナラの木があったと。木
の周りは五人の大人が手をつないでも囲まんねぇほど、でっけぇ木だったてや。
ある年の秋、そのナラの木にすずなりにナランゴシ(ドングリ)がなったと。
ある日のこと、このナラの木からドングリが一つ、ぽとんと池の縁に落ちて「コロコロ、チャポン」と池におったてや。

それから、いっときたったころ ドングリがまた一つ、ぽとんと池の縁に落ちて「コロコロ、チャポン」と池におったと。

それから、また、いっときたったころ またドングリが一つ、ぽとんと池の縁に落ちて「コロコロ、チャポン」と池におったてや。
                  絵 竹内雅子
※このようにいつまでたっても同じ内容が繰り返し語られるので長い話をせがんだ子どもも仕方なく終わりにしたものだった。



       
 一枚足りなかった田    
 昔、一人の百姓がいたと。この人は毎日、山(田畑)へ行って働いて、夕方帰るときには必ず田の枚数を確かめて帰ったと。
 ある日の夕方、いつものように田を数え始めたと。
「一枚、二枚、三枚、四枚、・・・・・・・・五十七枚、五十八枚、五十九枚」
 ところが、六十枚あるはずの田が一枚足らんかったと。百姓はもう一度数えなおしたと。
「一枚、二枚、三枚・・・・・・・・五十八枚、五十九枚」
 やっぱり一枚足らん。
 百姓は、もう一度数えなおしたと。だどもやっぱし五十九枚しかなかったてや。
 百姓は首をかしげかしげ何回もかぞえなおしたと。
 そのうち、あたりは、薄暗くなってきたので百姓はあきらめて帰ることにしたと。
「不思議なこともあるもんだ。まあ、今日は帰ることにして明日また、数えてみよう」と言って、かたわらに置いた山笠を持ち上げたら、その下から一枚の田が現れたと。

※石黒は棚田がほとんどで、地滑り地帯にある田は特に小さかった。田に足を入れずに畦で田植えの出来る田も珍しくはなかった。 
                     絵 今野ひかり


        
へっこきよめ
 昔あるところに、器量よしで働きもんの嫁がいたってや。だどもこの嫁には一つ困ったところがあったと。
 それは、やたらと屁がこきたくなることなんだってや。
 だども、嫁に来たばっかしで遠慮して、毎日屁を我慢していたのだと
 ある日、婆さんと嫁と二人で囲炉裏端でキナコをウス(石臼)でひいていたと。
 嫁の顔色が良くないので、婆さんが
 「あね、あね、どうしたがん、この頃、顔色がわりねぇか」と聞いたと。
 嫁は、思い切って婆さんに、屁を我慢していることを話したと。すると婆さんは、
 「ははぁい、ここはお前の家だなんだすけ、我慢なんかいらねぇがねえ。きょはアニも山に行っていねぇことだし、思いっきり、こけ。」と言ったと。
これを聞いた嫁は、喜んで
 「んじゃ、おばちゃ、遠慮なしにこかしてもらいますて」と言うなり一発こいたと。 いやぁ、その屁のでっけぇこと。
 屁の勢いで、二人でせっかく石臼でひいたキナコが全部ふっ飛んでしまったったと。
                  絵 今野ひかり
※資料 現代っ子も昔話が大好き



         
 うば捨て山
大昔の石黒では、歳を取って働く事ができなくなった年寄りは、黒姫山の奥(今日の水穴口付近)に捨てる決まりがあったのだと。
 そのころは、山にたくさんの山犬(オオカミ)がいて捨てられた年寄りが弱るのを待って喰ったのだってや。
 ある貧しい家に親孝行の若者と母親が住んでいたと。
ある晩、年老いた母親は、
「アニ、おらぁは、もう働かんなくなったすけ山へ捨ててくれや。わりども明日の朝早くおぶって行ってくれや。」と息子に頼んだと。
 若者は止めたけど、母親は頑として言うことを聞かないので泣き泣き承知したと。
 翌朝、まだ薄暗いうちに、若者は年老いた母親をソイバシゴで背負って山の奥に向かったと。
 母親を負ぶった若者は、雑木をかき分けかき分け泣きなが歩いて行ったと。
 背中の母親は息子が帰りに迷わんようにと途中の雑木、マンサクやコブシなどの枝を折り曲げながら行ったと。
山の奥につくと、母親は息子に礼を言った後、
「来るときに、木の枝を折りながら来たすけ、それを目印に道に迷わんように帰らっしゃいや」
とやさしく言ったと。
 これを聞くと若者はどうしても母親を捨てることなどできない気持ちになり、無理矢理背負って家に帰ったと。
そして、母親を誰にも知れないように天井裏に住まわせる事にしたと。
 ある時、村の庄屋が、変わり者の殿様から難題をふっかけられたと。
 それは、「くねくねと曲がりくねった細く長い穴に糸を通せ」という難題だったと。
庄屋さんが困っていることを聞いた息子は、天井裏の母親にこのことを話したと。すると母親は
「それは、庄屋さんもお困りだろう。そうだ、いいことがある細い絹糸をアリゴ(アリ)の足に縛ってアリゴにその穴を歩かせて通せばいい」と言ったと。
 息子は大急ぎでこのことを庄屋さんに知らせたと。 
 おかげで、見事難題を解決できた庄屋は大変喜んで、
「何でも、お前の好きなほうびをやる、申して見ろ。」と息子に言ったと。
息子は、庄屋に母親を隠していることを正直に話し、アリを使って糸を通す方法もその母親が考えたということを庄屋さんに話したと。
 すると庄屋さんは、年寄りは体力はなくとも知恵があることを悟って、年寄りを山の奥に捨てる決まりを止めにしたと。
 それからは、村中の家で年寄りは大事にされて長生きをするようになったてや。

※五十年ほど前に村の古老に聞いた話では、石黒でも、大昔には姥捨てがあったという。
 入山の奥に捨てたといわれるが、その辺から後世になって沢山の人骨が出たという話も伝えられて来たという。
                 絵 今野 望



          
さるの嫁 一
  昔、あるどこに一人の百姓がいたってや。その人には三人の娘がいたと。
 ある年の夏、なかなか雨が降らんで田の水がなくなって、今にも稲が枯れそうになったと。
 百姓は田の畦に立って、
「この田に、水を入れてくれるもんがいたら、おらの娘を嫁にやってもいいがなぁ。」と独り言を言ったと。

 すると、このことを田の近くの木の上で聞いていた一匹の猿が出できて、
「おらぁが水を入れてやるすけ、娘さんをおらの嫁さんにくんなせぇ。」と言ったと。
 百姓は、猿が田に水を入れることなどできるわけはないと思って
「ああ、いいとも」と返事をしてしまったと。
 ところが、次の日、百姓が田に行ってみると満々と水がたまっていたと。
 それを見た百姓は、田の水がたまったのはうれしかったども、娘を猿の嫁にやらんけばならんくなったことで困ってしまったと。 まぁ、ともかく家に帰って三人の娘に話をしてみようと思ったと。
 家に帰って、まず一番上の娘に話すと、「おら、猿の嫁になるのなんか絶対、えやだ」と断られてしまったと。
 二番目の娘にも同じように断られたと。
 そして、三番目の末娘に話すと
「トッツァが、約束したんだば、いくら相手が猿でも守らんけらならんだろい。おらぁが嫁に行ぐいね」と承知してくれたと。
 そして、末娘は猿の所へお嫁に行ったと。
 それからしばらくして、末娘はムコの猿と初泊まりに実家に帰ることになったと。
 末娘は猿に
「家のトッツァは、つきたての白い餅が好きだすけ、みやげに餅を持って行ごういね」と言ったと。
猿が、漆塗りのきれいな重箱に餅を入れようとすると、
「おらトッツァは重箱くせぇ餅が嫌いだすけ、臼の中に入れたまんま背負って行ってくんなせぇ」と言ったと。
それで、猿は大きくて重い臼を背負って行くことにしたと。
 山道を歩いていると川端に満開の桜の木があったと。
娘は、「ムコどの、おらトッツァは桜の花が好きだすけ、きれげな枝を一本みやげに持って行ごいね。」と言ったと。
 猿は、さっそく、背中の臼を道ばたにおろそうとすると娘は、
「ムコ殿、道ばたにおろすとモチがベト臭くなるから、背負ったまま木に登って取ってきてくんなせぇ」と頼んだと。
 猿は仕方がないので、重い臼を背負ったまま木に上り始め、中ほどまで上ったところで、
「姫、姫、この枝をとろうかない。」と言ったと。
娘は「いやいや、もう一枝てんじょ」と言ったと。
猿はもう一枝上に登り、
「姫、姫、この枝とろかない」と聞くと、娘は、
「いやいや、もう一枝てんじょ」とまた言ったと。
 何度も、そう言われた猿は、とうとう木のてっぺんの細い枝まで登ってしまったと。
 ところが、背中に背負っていたウスがあんまり重いもんだから枝がポキンと折れて、猿は川の中にボチャンと落ちてしまったと。
春の雪解けの頃で、大川はものすごい勢いで流れていたので、臼を背負ったまま猿は川下に、ぷいちゃん、ぷいちゃんと流れていったと。猿は流されながら
「姫、かわいや、姫、かわいや」と叫びながら釜淵の滝の方へ流れていってしまったってや。
               絵 竹内雅子
今野 望



          
さるの嫁 二
 むかしあったてや、日照り続きでじさの山の田が干し上がってしまい、じさが一生懸命水引きをしていたんだって。
 だども水がちょろちょろとしか来ないもんで、いっこうに田に水がたまらなくて参っちゃって、
 「誰か、田に水をためてくれるもんがいたら、娘三人いるが一人嫁にくれるんだが・・・・」
と独り言を言ったと。ほうしると山の猿が出できて
 「じいさ、じいさ、お前いま何と言ったい」
と聞いたがんだと。
 「おら、何にも言わん」とじいさが言っても猿は、
 「お前、なんか言ったねぇか」とひかねぇんだんが、じさは
「 あんまり水がかからねぇんだんが、田に水を引いてくれたら、娘三人のうち、一人嫁にくれてもいいがと言ったんだ」と言ったんだと。
 ほうしたら、猿が
 「そんじゃ、おらがこの田に水を引くすけおれに娘一人くんねぇか」と言って、えまる(用水路)のかみから水をどんどん引いてきて、たちまち、田に水をいっぱいためたと。
ほうして、
 「三日したら、迎えにいぐすけ」と言ってその日は分かれたと。
 じさは、こら思案なしでおおごとのことを決めてしまったと、家に帰ったけども、あんべぇが悪くなって寝込んでしまったんだと。
 一番上の姉娘が
 「じさ、じさ、あんべはどんげぇだい、湯でも茶でもやろか」
と聞いたんだが、
 「湯も茶も、いらんが山の猿のどこへ嫁に行ってくれや」とたのんだと。娘は、
 「だ(誰)が猿んどこなんか嫁にいかれよば」
と怒って、逃げていってしまったんだと。
 次に二番目の姉娘が来て
 「じさ、じさ、あんべぇはどんげだい、湯でも茶でもやろうか」と聞いたんだと。
 「湯も茶もいらんが山の猿んどこへ嫁に行ってやってくれや」
と頼んだと。すると二番目の娘は
 「くそじさ、馬鹿じさ、だが猿の嫁になんかなろうが」
と怒って逃げて行ってしまったと。最後に三番目の娘がやってきて、
 「じさ、じさ、あんべはどんげだい、湯でも茶でもやろうか」 と聞いたんだと。するとじさは
「湯も茶もいらんが、山の猿んどこへ嫁に行ってくれや」と頼んだと。三番目の娘は、
 「じさが困っているんだけら、なじょうも猿の所へいくこて」
と言って承知したと。
 じさは安心して、たちまちあんべが良くなり嫁入りの支度をしてやったてや。
三日目に猿が迎えに来て、娘は嫁に行ったんだってや。
 嫁に行った娘が婿の猿と実家へ泊まりに行く日が来たんだってや。猿が、
 「ねらちのじさ、なにがいっち好きだや。」
と聞くんだんが、娘が、
 「おらちのじさは餅がいっち好きだ」
と言ったんで、猿は餅をついて
 「餅は、重箱に入れて行ごかのし」
と聞くと
 「おらちのじさは重箱臭いと言ってだめら」
 「ほんじゃ、めんつ(わっぱ)の中に入れて行こうかのし」
 「めんつはめんつくさくなってだめら、臼の中へ入ったつきたての餅が一番うめえそうら」
と娘が言うんだすけ、猿は荷縄で臼をしょって里にあるじさの家へ向かったんだってや。
 そうすると川があって川のはたに大きな桜の木があって桜の花がいっぱい咲いていたんだったてや。
それを見て娘が、
 「あこへきれいな桜が咲いているすけ、一枝取っていったら、じさがどんげにうるしがるこんだやら」
と言うとさるが、
 「じゃぁ、オガ(私が)取ってきてやるこっつお」
と言って、しょっていた臼をおろそうとしたと。嫁はそれを見て 「こんげんどこへ臼おろしゃ、じさがべと臭くてやあがるすけしょったまんま、木にのぼってくんねぇか」
と言うんだすけ、仕方なく猿は、臼をしょったまんま木に上ったんだと。そして
 「ひめ、ひめ、これか」
と猿が聞くと
 「もう一枝てんじょ」
また上にのぼって
 「ひめ、ひめ、これか」
と聞くと
 「もう一枝てんじょ」
猿はどんどん上にのぼり
 「ひめ、ひめ、これか」
と聞くと
 「もう一枝てんじょ」
と言うんだんが、猿はとうとうてっぺん近くまでのぼったが臼をしょってて重いもんだから枝がほしょれて川へポチャーンと落ちてしまったてや。
 ほうして下の方へプイチャン、プイチャンと流れしまに(流れながら)
 「おら命は惜しくねぇども、後に残したひめがこいしい、ひめがこいしい」と唄いながら流れていったてゃ。
 これで、いちがぽーんとぶっつぁけた。
        文 大橋信哉 絵 竹内雅子・今野 望



      
まんじゅう好きな小僧
昔あったてや。山のふもとにお寺があったと。そこに和尚さんと小僧が住んでいたんだってや。
 小僧はなまけもんで、和尚さんに言いつけられた掃除やせんだくは一所懸命にやらんで、いっつも怒られてばっかいたと。
 ある日、和尚さんが町の檀家に法事に呼ばれて酒をいただいていっぺぇ機嫌で、たまには小僧にまんじゅうでも買って行ってくりょかと、まんじゅうを買って帰ったってや。
「小僧や、ただいまけったよ、みやげを買ってきたから食べやっしゃい」
とまんじゅうを小僧にやったと。
 小僧は今まで饅頭なんか食べたことがねぇのでそのあんまりのうまさにたまげたと。
「和尚さん、和尚さん、まあ、こりゃ何というお菓子ですいの。あんまりうめぇんだんがほっぺたが落ちそうだいね」
それを聞くと和尚さんは
「それはな、マンジュウというもんだよ。いっぺぇ食べな」と言ったと。
 小僧は「ああ、うめぇ、うめぇ」と喰うわ喰うわ、たちまち五つ六つ喰って
「あーあ、んまかった。こんげにんめぇもん毎日食べてぇもんだ。和尚さん、町へ行ったら、またマンジュウ買ってきてくんなせぇね」
と頼んだと。和尚さんが
「小僧や、お前が毎日いっしょけんめいに働けば買ってやるぞ、こんだから怠けてばっかりいねぇでいっしょけんめい働くんだぞ」
と言ったと。小僧は、
「あい、分かりました。こんだいっしょうけんめい働きます」と言ったと。それからはこれがあの怠けもんの小僧かと疑われるほど、せっせと働くようになったてや。
 和尚さんは感心して
「小僧や、お前、がんばって働いてくれて大助かりだ。ほうびに小遣いをやろう」とお金をくれたと。
 小僧は喜んで、それからまっといっしょうけいめいに働くようになって小遣いもどんどん増えたと。
ところで、小僧は前に和尚さんからもらって喰ったマンジュウの味が忘れらんねぇで、また喰いたいなと毎日思っていたんだと。
ある日のこと、小僧はいつもより早起きして、せっせと働いて仕事を早めにおやし、和尚さんに、
「きょうは、仕事が早く片づいたんで、んまいもんを買いに町まで行って来ていいですか」
と聞いたと。和尚さんは
「ああ、いいとも行っておいで」と言ったと。
 小僧は
「ところで、和尚さんこの前にいただいて食べた、あのうまい菓子は何という菓子でしたっけね」と聞いたと。
 和尚さんは、
「ああ、あれはマンジュウという菓子だよ」と教えてくれたと。
そこで小僧はマンジュウという名を忘れないようにと
「マンジュウ、マンジュウ・・・・・・」と唱えながら町へ向かって歩いていったと。
 暗い森の中の道を通りかかると三光鳥が「デンベェジジ、ホイホイホイ」と鳴いて、あんまりいい声だったもんで小僧はマンジュウという名を忘れて「デンベェジジ、ホイホイホイ」と云いながら歩いて行ったてや。
 しばらく歩いていくと今度は小川があって橋がかかっていなかったと。小僧は「こんげな川跳び越すのはお茶の子さいさい」と
「ヨッコラショ、ドッコイショ」とかけ声を懸けて跳び越えたと。 それからは、「ヨッコラショ、ヨッコラショ」と言いながら町に向かっていったと。
しばらく歩いていくと道の真ん中に大きな石が崖から落ちて、道をふさいでいたと。
 小僧は石に手にかけて「ウンコラショ、ドッコイショ」と石を脇に動かして道をあけたと。そして今度は「ウンコラショ、ドッコイショ」「ウンコラショ、ドッコイショ」と町の菓子屋にやっとたどり着いたと。
 小僧は、ようやく菓子屋につくと元気よく
「ウンコラショ、ドッコイショを十売ってくんなせぇ」と言ったと。すると菓子屋は変な顔して「ウンコラショ、ドッコイショなんてお菓子は見たことも聞いたこともないなぁ、何か間違いじゃないの」と言ったと。
 小僧は「なんだったかなぁ、そうだ、ウンコラをください」と言ったと、こんどは、菓子屋は大笑いして「そんげな菓子もないよ」と言ったと。
 小僧は困ってしまい、「うまくてうまくてほっぺたが落ちそうなあんこの菓子だども・・・・」と言うと菓子屋は
「それなら、大福餅があるし、それからマンジュウもあるし・・・」と言いかけると小僧は、ぱちんと手を叩いて、
「あ、そうだ思い出したマンジュウだ、マンジュウだ」と言い、やっと饅頭を買うことができたと。小僧は、お寺に帰って和尚さんと腹一杯食べたってや。
これでおしまい、いちがポーとぶっつぁけた。

             文 大橋信哉 絵 竹内雅子



      
猿のけつはぬらしても
昔、あったってや。正直なじさが山の粟畑の草取りをしていたと。 あんまりがんばって働いたもんだんが、くたびれて畑のそばのきっかぶつ(切り株)に腰を下ろして一服していたんだと。
そのうち眠くなって、ぐっすりと寝てしまったんだと。
 そうすると、ぞろぞろと猿が大勢集まってきて
「こんなとこにずどう様(地蔵様)がごじゃっしゃる。早く、家にお連れ申そう」
と言って、じさのあごの下やわきの下をこちょばしたってや。
 じさは、こちょばってぇえのをじっとこらえて「猿のやつら何をする気だろう」とねたふりしていると、猿どもはじさをつり持ちして運んだと。
 ほしたら、川にさしかかると猿どもは
「猿のけつはぬらしてもずどう様のけつはぬらすな」 「猿のけつはぬらしてもずどう様のけつはぬらすな」
とザブザブと川をこざいたんだと。じさは猿どもの歌がおかしいもんだすけ、腹に力が入って思わずブーと屁をこいてしまったと。猿どもはびっくりして
「なーるはなんだ」 「なーるはなんだ」
と言いながらじさを山奥の立派な猿の御殿に連れて行ったんだと。 そうして、じさを床の間に座らせ、栗だの柿だのキノコだのあかえぶ(アケピ)だのをいっぱいお供えし、おまけに銭(ぜん)も山ほど供え、かわりばんこに拝んだんだと。
 そのうち猿どもはみんな引き上げ、どっかへ行ってしまったのでじさは腰に巻いた弁当ふろしきにお供え物をみんな包んで家に帰ったがんだと。
 この話をばさに聞かせたら、隣の意地悪の欲張りじさが聞きつけて「こりゃ、うめぇ話を聞いた、金もうけができるぞ」と早速翌日、山の畑のそばのきっかぶつに腰掛け寝たふりをしていたら、猿がおおぜいやって来て「ずどう様が見えなくなったと思ったらこんな所にござっしゃる。お連れ申そう」とつり持ちをし、また川にさしかかったてや。
かわをザブザブこざきながら、
「猿のけつはぬらしてもずどう様のけつはぬらすな」
「猿のけつはぬらしてもずどう様のけつはぬらすな」
と歌いだしたもんだから、隣のじさは、このあたりで屁をこかんきゃなるめぇと思い、一生懸命力んだが、屁は出ねぇで、あっぱがにょろにょろと出たもんだすけ、猿どもはきったながってじさを川に投げ込んで逃げていってしまったんだと。
 隣のじさは、ビショビショになり、やっとこすっとこ家に帰って来たんだと。
これで、えちがぶっつぁけた。
                       文 大橋信哉



     
鯨の夕顔汁が大好きな猫又
 昔ある家に一匹のカラス猫がいたってや。
 この猫はクロという名前で、なじょにかハツメ(はしこく)でネズミを毎日二・三匹は獲るし、スズメなんかも時々捕めてきたんだってや。
 この猫が飼われてから二十年近くたった頃、ある日突然いなくなったがんだと。
 家の者はあちこち探しまわったんだども、一向にめっからんもんだすけ年老いた猫のことだから、どっかで死んだもんとあきらめていたと。
 ところが、その夏、土用の丑の日のことだってや。
 そこの家で夕飯に鯨の夕顔汁をいっぺぇ作って食べ、だいぶ鍋の中に残ったんだと。
 そのようさり、みんながぐっすり寝ている真夜中に、そこの家のおっかが小便しに起きたんだども、何か変な音が座敷からするもんだすけ、障子の穴からそっと覗いたと。
 すると、目はつり上がり、口は耳まで裂け、尻尾の先が二つに割れた猫又が、ヤスリのような長い舌を出して、鯨汁を食べているのが見えたと。 おっかは、ぶったまげて腰を抜かしてしまったと。
 それでも、やっとこすっとこ、這って寝床に戻って、父っつぁを起こして、見たことを話したと。父っつぁは、半信半疑で行って座敷を覗いてみると、夕顔汁をみんな平らげた猫又は、鍋の蓋をちゃんとして、今度は、灯心の油をペロペロなめ始めたと。
 父っつぁが、目をこすってその猫又の姿をようく見るとそれは死んだと思っていたクロだったと。クロは口なめずりをしながらガンギの戸を前足で開けてガンギに出ると戸をちゃんと閉めて出ていって縁の下に入ったと。
 これを見た父っつぁは急に恐ろしくなりガタガタ震えながら寝床に戻ったと。
 ほうして、お母っかに「こら、大変だ。猫は家につくと言うが、猫又に居つかれたんじゃ、かなわん。何とか猫を追っ払う手立てはねぇもんだろうか」と言うと、おっかは、「猫はマタタビが好きだっていうから、いっぺぇマタタビをくれてやってどっかへ行ってくれるように頼んだらどうだろかね」と言ったと。
 それを聞いた父っつぁは、ひざをはたいて「そらぁ、ええ考えだ、ようし、それでいこう」と言ったと。
 そしてさっそく、次の朝、ちゃめぇ(朝飯前)に城山に行ってテゴに、しっとっつ(いっぱい)マタタビを採ってきて、縁の下の猫を呼び、
「クロ、クロ、このマタタビをみんなやるすけ、ここに居つかんで、どっか遠くに行ってくんねぇか、後生だ、頼む」と拝んだと。
 すると猫は「わかった、おれもさんざん飼ってもらったんだすけ、ようこときいて他の村に行くこてね。んだども鯨汁をしたときには声をかけてくらっしゃい」と言ったがんだと。
 父っつぁは、「なじょも、なじょも、そんときは声をかけてやるこてや」と言ったと。
 すると、猫は急にでっけぇ猫又(猫が年老いて尾が二つに分かれて人を化かすこと)になって、ゴォーとうなり声をあげ空を飛んでどっかへ行ってしまったと。
 これで、いちがぶっつぁけた。
                    文 大橋信哉
          

          
エゴノコ
 むかし、エゴノコという継子がいたってや。エゴノコには、ままっ兄弟が一人いたと。
 ところが、エゴノコの継母は、エゴノコにことあるごとに辛く当たり意地悪をしたと。
 ある日、二人の子どもの大好物の団子汁を作ることになったと。
 二人の子どもは、団子汁ができあがるのを今か今かと待ってたと。
 ようやく、団子汁が出来ると、継母は、二人に団子汁を茶わんに盛ってくれたと。
 ところが、自分の子には団子をどっさり盛ってやり、エゴノコには汁ばっかり盛ってくれたと。
また、ある時、芋飯を炊くと自分の子にはご飯のところだけを、エゴノコには芋ばっかりを盛ってくれたと。
 ところがある時、風邪が流行って子どもが二人とも風邪にかかってしまったてや。
 すると、継母は自分の子どもは大判小判の中に寝かせ、エゴノコは藁くずの中に寝かせたと。
 すると、藁クズで体の暖まったエゴノコは助かり、大判小判で体の冷えた継母の子どもは、とうとう死んでしまったてや。
                   
絵 今野 望

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