民具補説
            米つきとモチつきの思い出
 稲や野菜の収穫が終わり、外回りの仕事も終わった11月の下旬、冷たい雨に雪が混じる頃になりますと、どこの家でも米つきが始まりました。
 トウドウ(当働)を頼んだり、イイ(結い)をしたりして、賑やかな作業でした。何俵もの米を搗くので幾日もかかったものでした。
 米は、の中に玄米を入れて柄の長い杵で搗くのでした。搗いていると玄米がだんだん白米に変わっていきます。摩擦でコヌカ(糠)がはぎ取れるのですが摩擦熱のため手を入れると温かくなっています。
 搗いた玄米はフルイにかけてコヌカと米を分けます。そしてムシロに広げて熱を冷ましてから、俵に入れて座敷の天井に吊して保存しておくのでした。
 米搗きが終わるとソバ粉づくりです。まず、 ムシロの上に乾いたソバを広げてその上を一升マスを逆さにしてガリガリとこするのでした。私たち子どもも板でガリガリと押しながらムシロ一面のソバをかき回すのでした。そうすることによりソバの果実の表面についたホコリを取り除く事が出来たからです。
 そして、そのソバをトウミにかけてホコリを払い良い粒と良くない粒を分けて別々の袋に入れるのでした。
 つぎは、そのソバを大型石臼にかけて挽き割る作業です。挽き割るときには石臼の真ん中の投入口にどんどんソバを入れながら回します。すると臼が浮き上がるようになりソバの皮と実が分かれて出てきます。
 それを目の粗いフルイにかけて皮と実に分けます。そして実の方を今度は投入口に少しずつ入れてゆっくり回すと細かい粉になります。2度3度と挽くときめの細かいそば粉ができました。

 また、年の暮れと小正月にはどこの家でも餅つきが行われました。(当時は1ヶ月遅れの正月でしたので2月1日が元旦でした)
         
臼と杵と餅搗き用しゃもじ  餅つき杵は、二人搗き用は径10pほどの細い杵でしたが一人用の杵は太くて径20pほどありました。二人用の杵は石黒の山に多く見られるイツギ(ミズキ)の木で年輪の細かい重量のある木を使いました。一人搗きの杵はほとんど杉材の堅いと思われる部分を大工が見立てて使ったということでした。臼はケヤキの根元の部分の堅い部分をノミと丸カンナで削って作ったものだそうです。
            文・図 田辺雄司(居谷)