運動会の思い出
                        田辺雄司
 昭和十年代の小学校の運動会は夏の5月27日、冬は3月10日に行われた。毎年5月になると運動会を目指し て毎日練習がありました。
 5月27日の運動会は海軍がロシアのバルチック艦隊に勝利した日を記念した行事でし た。当時は運動会といっても村の人はほとんど見に来ない、来ても1人か2、3人でした。農繁期のことであり農作業が忙しく運動会どころではなかったのでしょう。
 それでも、運動会には軍艦マーチが蓄音機のラッパから大きな 音で聞こえる中、紅白に分かれた長い隊列が交互に歩くのでした。全校生徒は1年〜高等科3年までの300人もいましたので、それは賑やかなものでした。今でも、その光景は脳裏にはっきりと焼きついています。それほど賑やかでしたので、運動会が終わるとなんだか、がっかりしたような気分となり勉強する気にもならないという感じでした。
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春の3月になると、今度は冬の運動会がありました。運動会といっても徒競走ではなく、校庭に高等科の生徒が二つの雪の塔を作り、その上に赤と白の旗を立てておいてお互いにその旗を取り合うという競技でした。
 その競技の参加者は多分5年生以上だったと思います。紅白入り乱れてまるで喧嘩のようでした、塔の上の旗をとろうと這い上がる者もいれば、それを引きずり下ろすものもいました。また、攻めて来た相手ととっ組み合いをしている者もいました。競技は3回で勝負をつけました。競技ではゴム長靴は危険なのでフカグツを履いてするので、なおさら塔に上りにくくなかなか勝負のつかない競技でした。
 春の気配が漸く感じられる頃の陸軍記念日の運動会でした。