ひとらごと   DATE20090118

        平成生まれの成人式

 テレビで平成生まれの人が初めて成人式を迎えたというニュースを聞いて少なからず驚いた。この気持ちは、成長した孫を見て己の歳深きことに驚くたぐいであろうか。まさに「光陰矢のごとし」である。
 昭和64年1月、昭和天皇の病状が刻々とつたえられ、ついに7日に崩御され、「平成」の年号が官房長官であった小渕さんによって伝えられた。
 あの日から20年の歳月が流れたことになる。

 改めて昭和を振りかえってみると、敗戦前後の激動期に大人であった人々の多くはすでにこの世を去っている。その意味でまさに昭和は「歴史」に入りつつあると言うこともできる。
 その敗戦という激動期を少年時代に経験した我々は、敗戦のどん底から復興につづく高度成長期を丸々経験してきた世代である。その意味で、昭和という時代を、古希〔70才〕を過ぎた今こそ自分の人生と合わせみながら振り返ってみることが大切ではなかろうか。

 想えば、我々の少年時代は、敗戦の頃で学用品もなければ衣服もない貧しい生活であった。夏季には、山笠をかぶって裸足で登校した。だが教室は50人もの仲間で溢れていた。村には子どもの声が絶えることなく、村道には日が暮れるまで子どもの遊ぶ姿が見られた。(→子どもの暮らし
 村人たちは、農地解放で自作農地を得てさらに耕地を広げようと田堀りに精を出した。「箸一本の太さの地下水があれば一反歩の田を耕すことができる」と家から数kmもある遠山に出かけて新田を開発した。
 大型の重い鍬で土を掘り、モッコで運んで畔を築き、40kgを越えるアゼシメ具を振り上げて畔を固めた。そして、畔の内がわの土を耕して水をはり、フジづるを巻きつけた大きな石や土俵(つちだわら)を2人で引き回して水漏れしないように底を固めた。(→四季の農作業 田堀り

 敗戦から徐々に復興しつつあった日本は、昭和25年の朝鮮戦争の勃発で急激に景気が上向き、そのまま高度成長の波にのって、途中何度か景気の減速もあったものの今日に至った。
 そして、子どもの頃にノートや消しゴムにも不自由した我々は、その人生の働き盛りを、「使い捨てこそ美徳」と言われた高度成長期のピークを生きてきた。
 だが、経済の高度成長の裏では農村の疲弊が年々進んでいた。そして今では、山深い我が故郷は過疎化が限界まで進み、敗戦当時280軒もあった家は60軒ほどに減少して住民の平均年齢70歳に迫っている。敗戦時には400人を越えた石黒校も昭和の終わりと共に(1989)に子どもの減少によって閉校となった。
 では、当時、村人たちが心血をそそいで開発した新田はどうなったかといえば、実に、そのほとんどは茫々たる原野に戻ってしまっている。
 かろうじて、条件の良い土地の田は耕され続けているが耕作者の平均年齢は70歳に近づいて、後継者もいないのが実態である。
 まさに、我が故郷は限界集落を超えて極限状態にあるといえる。

 一方、今日の世界は、人口増加と途上国の生活向上によって、深刻な食糧危機が予測され、食糧自給率が並外れて低い我が国では自給率の向上が叫ばれている。その上に今、百年に一度という世界恐(リーマンショック)慌が押し寄せ失業者が激増している。
 この緊急事態の中で国民の代表である為政者が真剣にこの課題に取り組んでいるかといえば、お世辞にもそうだとは言い難い。
 このところ毎日のように話題となっている「生活給付金」は少なからず選挙の得票をねらったものであることは間違いない。とすると、これほど国民をバカにした話はないことになる。
 だか、バカにされた我々にもそれ相応の責任があるということもできる。つまり、我々国民も国政に対する関心が足りないということである。それは、国、地方の選挙の投票率の低さなど表に現れた事実だけを指すのではなく、それ以前の国政への我々個々の関心の低さが問われるのである。
 よく考えてみれば、現在の為政者に確たる国造りのビジョンがないことは、とりもなおさず、我々国民が十分な関心を持っていないということでもある

 これからは、農村の過疎対策ひとつとって考えても、食糧自給率だけの問題ではなく、環境保全、食品安全の面からも、為政者に任せるのではなく、国民ひとりひとりが自己の問題としてとらえ、行動を起こす時代が到来しつつあるように思われる。
 さいわい、今日、インターネットの普及で情報交換は世界規模で自由に行うことが出来る時代となった。光と影をはらんだ新しい世界ではあるが、その可能性はまことに大きい。

 くしくも、今日(2009.1.18)の新潟日報の一面トップの見出しは「就農希望者が急増」「雇用悪化で活路を探る」である。
 後継者不足で悩んでいた農林水産業界もこの状況を人材確保の好機と求人ラッシュであるという。農水省幹部は「近年これほど農林水産業への就職に関心が集まったことはない」とコメントしている。
 この大不況が、衰退の一途をたどっている農村に活力を注ぎ込むきっかけとなれば不幸中の幸いである。

 これを絶好の機会ととらえて、抜本的に農業政策が見直され改められて、石黒の原野に帰った放棄田や休耕田が復活する日が来ることを我々はのぞまずにはいらない。