20180311 今朝のテレビ番組「隠れ病む人々」という番組で僧侶の中嶌鉄演という方の話を聞いた。その中に「乞食」という言葉は仏教では托鉢を意味し、種々の規律があることを初めて知った。その中には、托鉢は午前に行なうこと、生命を支えるに足るだけを受けること等の決まりあるという。
 私が子どもの頃(1945〜1950)は、村に時々乞食がやって来た。私は、その乞食の応対をただ一度したことがあったが、その時のことで今でも忘れられないことがある。
 6才であった自分は、祖母が物々交換時にするように米櫃の中の白米を一升枡に山盛りにして乞食に差し出した。すると相手は枡の山盛りの部分だけを自分の托鉢椀に取り込で後は米櫃に返しておくように私に言い聞かせた。未曾有の食糧難の当時は托鉢の形だけまねた、俗にいう「乞食」も多かったであろうが、あの時、留守番をしていた自分が応対した乞食は本物であったと分かり、この放送を聞いて、今も忘れがたいこの思い出の価値が一段と高まったような気がした。
556