補記      青年学校

 1935(昭和15)年に公布された青年学校令によって設置され、昭和22年の新学制発足まで続いた勤労青年教育機関。
 その目的は「
男女青年に対しその心身を鍛練し徳性を涵養すると共に職業及び実際生活に必要なる知識技能を授けもって国民たるの資質を向上せしむる」ことと規定されている。(第1条)
 制度は普通科(2年)・本科(男子5年・女子3年)・研究科(1年以上)・研究科(1年以上)・専修科(年限を定めず)からなり、尋常小学校卒業者を普通科、高等小学校卒業者及び普通科卒業者(青年学校)を入学させた。
 普通科の教科目は、修身・公民・普通学科、職業科、体操であり、女子には家事、裁縫を加え、本科の男子には体操に代えて軍事教練を課した。
 青年学校令とともに同校の充実のため青年学校教員養成所令などを公布し、専任教員の養成が開始された。昭和19年、この養成所は青年師範学校に改められ、当時、壮丁(青年)学力検査でみ尋常小学校卒業者の学力低下が問題視されていたので教育機会均等の方針から同校を義務制にせよとの声が高まり、昭和14年、青年学校令改正により義務制実施が決まり本科5年までを義務制とした。
 これにより勤労青年が尋常小学校卒業後7年間の教育を受けることとなり、生徒数は急増した。
当時軍としては青年学校5ヵ年の軍事訓練を経た青年を更に2ヵ年訓練することにより近代的な近代的な兵力を獲得できるとの構想があった。また、国家総動員法の下で、生産拡充のための有能な労働力の育成を期待していた。
 しかし、生徒数が最多数に達した
昭和18年には「教育に関する戦時非常方策」が出され青年学校生徒の多くは軍需物資生産関係の工場に動員され(学徒動員)戦争末期には教育機関としての機能をほとんど停止していた。
 その後、敗戦後の教育改革による中等教育の充実に伴い青年学校は廃止された。

                    参考文献 国史大辞典