1964年7月10日、刈羽郡高柳町上石黒の鷲巣山山麓で、農業Т氏(当時61歳)によって捕殺された幼鳥(左写真)
 Т氏の言動は「仕事の帰り、山のふもとまで来たら杉の木の下に大きなノウサギが二頭死んでおり、一頭はほとんど食べられていたが、他の一頭はまだ新しかった。
 木の下に白い糞が沢山あり、非常にいやな匂いがした。あたりを見ていると、いきなり大きな鳥が飛び去ったが、あとで親鳥ということが分かった。
 ちょうど地上から3m位の枝に、この辺でいう「オオワシ」が止まっていたのをみつけ再三驚かしたが逃げようとしない。仕方がないので付近で竹竿を見つけ、これで突き落とし更に木の枝で殴りつけて殺しました。と述べており、鳥体を調べたところ、まだ綿毛か多く独力では飛べる状態ではなかった。
 この付近では本種の捕殺記録は多く、1938年(標本澤田屋旅館所蔵)、1950年(標本大光相互銀行所蔵)1955年(石坂銃砲店所蔵)の他に東京方面へ3点位出しているようだ。
 石黒部落では昔から鷲巣山でオオワシが巣をつくり、一年に数回部落の赤ん坊がさらわれ食べられたという伝説が残っていて、人間に害を加えるものとして捕殺されてきたのは残念この上ない。幼鳥の標本は石黒小中学校で所蔵。 

※引用文献 新潟県におけるイヌワシの分布と保護対策について 風間辰夫 山階鳥類研究所研究報告 第7巻 第1号(№39)別冊-1973- ※写真は編集会で現在のものと入れ替えた