ユリワサビ
暮らしとの関わり
 ユリワサビは、石黒ではごく希に見られる野草である。それもほとんどが家や田畑の回りで見られるので、もとは人によって植えられたものが野生化したものと思われる。
 石黒では、ユリワサビは「葉ワサビ」と呼んでいた。これに対して、「ワサビ」または「馬ワサビ」と呼ばれたものはセイヨウワサビ〔右下写真〕のことで、畑の端に植えておいて根をすりおろして薬味とした。
 ユリワサビは料理法がやや難しいことから、あまり食材として用いられず、村に持ち込み植えられることも少なかったのではなかろうか。
 下の写真のユリワサビは、筆者が昭和40年〔1965〕頃に栃尾市の田代から採取して来て生家の屋敷内に移植したものである。移植してから間もなく一家で分水町に移住し家も取り壊されたが、移植されたユリワサビは、けなげにも20余年は細々と生き続けていた。 その後、60歳代半ば、石黒の生家跡に庭づくりを始めたころ、生家の庭の片隅に移植したユリワサビが、俄然勢いづいて繁茂し始めた。移植してから55年、現在では年々増え今では相当大きな群生(100坪ほど)が見られる。
 ちなみに、苗の採取地の栃尾市(現在長岡市)の田代は、山古志地区と隣接していたため、中越地震で甚大な被害をうけて村は現在(2011)、消滅の危機にあると聞く。
 筆者は二十歳代前半の3年間をこの村の田代分校で過ごした。そこは海抜420mの小さな盆地状の美しい村であった。村の南側には「くら」と呼ぶ石黒の城山に似た景観の山があり秋の紅葉は見事であった。その山の裾に通じる道沿いの斜面にユリワサビが群生していて花期には全面が白く見えるほどであった。
 この時にオオユリワサビの若葉を、「おひたし」にしたものは酒のつまみとして絶品であることを知った。 ただし、これは村人から調理したものを頂いたものであり、当時、自分で料理すると苦いばかりで、身上である辛味は全然出なかった。
 今日(2018.12.21)に石黒に行くと積雪10pほどであったが、オオユリワサビの葉は鮮やかな緑色を保っていた。ユリワサビが多年草であることを再認識させられた。(下写真)
 今年(2020)も村の道普請に参加するために訪れた折に観察するとシャガサイハイランと共に緑色の葉が目をひいた。
※今日(2020.11.25)にWEB上のユリワサビの情報を見ていると、どうも本種はオオユリワサビではないかという疑問が湧いてきた。WEB上の「ユリワサビ」で検索した写真を見るにそのほとんどに共通の相違点がいくつか見られる。
 また、愛用の牧野植物図鑑(1989発刊)には「ユリワサビ」の項目はあるが「オオユリワサビ」はない。しかし、本図鑑のユリワサビ欄に掲載された観察図は本ページに掲載のユリワサビ(オオユリワサビ?)に近い。
 ちなみに、「柏崎の植物」(1981刊)には、柏崎市でのユリワサビの分布地に河内、善根が記載されている。「オオユリワサビ」の記載はない。
 来年(2021)は、石黒の生家のものを鉢植えにして観察をしてみたい。


(写真上 2007.4.25 上石黒 右上下 下石黒)


         残雪の脇のユリワサビ

撮影2012.5.19下石黒

             ユリワサビの群生

       撮影2009.4.2下石黒 記録的な少雪

写真2017.4.25下石黒

                  果実期
撮影2013.5.28下石黒


              栽培種

撮影2009.4.16下石黒

                   初冬の頃の様子

 撮影 2020.11.15 下石黒


解 説
アブラナ科
 北海道から九州まで自生する。 ワサビに近い種類であるが谷沿いの斜面などに生える多年草
 根茎はワサビにしては細く横に長くはって伸び、先が斜上して腎臓形の葉を数枚つける。常緑で越冬する。(下写真)
 花期は4月。15pほどの茎を数本たてて先端に直径1pほどの十字形花冠(写真上)をつける。 花が終わると小さなアブラナの果実の形をした小さな果実をつける。冬期も地上部は緑の葉を維持する。
 名前の由来は、葉柄の上部が枯れた後も基部がユリの鱗片のように残ることによる。



      葉の形
撮影2011.6.25下石黒

 ユリワサビの花〜果実
  撮影2009.4.20下石黒

    花軸を長く伸ばす
撮影2010.5.10 下石黒

  ワサビとしては細い根茎


 撮影2012.5.20 下石黒

常緑で越冬するユリワサビ
  (リョウメンシダイワガネソウと共に)

撮影2018.12.21下石黒

  西洋ワサビ〔馬ワサビ

     撮影2008.8.7大野