スイセン
 石黒には自生しない。(石黒でスイセンと呼ばれていたのは八重咲スイセンで、大抵の家に植えられていた)。
 柏崎市では西山町に自生が見られる。1981版の「柏崎の植物」には「浜忠海岸のスイセンの野生群落は北国のものとして極めて貴重であるが近年少し減少している」と記されている。
 WEB上の情報によれば、 スイセンは日本各地の海岸線に群生地があり、名前もニホンスイセンと呼ばれることもあるが、もともと地中海原産で、大昔にシルクロードを通って中国経由で渡来して野生化した種と言われる。室町時代の漢和辞典「下学衆」に「雪中花」の名前で載っいるということから、どうもそれ以前に入って来たものであるらしい。
 筆者が初めて自生のスイセンに出会ったのは、今(2015)から30年あまり前である。小学生の息子とともに海岸に面した山を浜忠から石地まで歩いた時のことである。人家から離れた周囲に畑もない場所で何カ所かスイセンの群生に出会い驚いたことを憶えている。その時に出会った個体はすべて副花冠が八重であった。ちょうど開花の盛りであったので、スイセンの香りを始めて知ったのもこの時であった。
 ちなみに、当時は、雪割草の大群生も見られ、大崎から石地の丘陵地では場所によっては、あたかも地面に絨毯を敷いたように見えたことを憶えている。また、その花の色は実に驚くほど多彩で墨流しのような形に自然の織りなす色模様となっていたことを今も鮮明に思い出すことが出来る。そこで、親子で昼食を食べたことも忘れられない思い出である。
 また、帰りに海岸の砂浜で美しいタコガイを拾い、今でもガラスケースにいれて居間に飾っておき時々眺めて当時のことを思い出している。当時はタコガイなど知らなかったので、プラスチック製の貝と思って足で蹴とばしたが息子が手にしたものを見ると本物の貝であることが分かり驚いた。近くにいた人に聞いて名前をはじめて知った。また、その人から「これほど大きなものは珍しいですよ」と言われて二人で大切にして持ち帰ったのであった。→タコガイの写真
 さて、雪割草であるが、その後、間もなく山野草ブーム、特にユキワリソウの人気が高まり、盗掘や開発により、そのような群生地は徐々に姿を消していった。更にその後大崎地区にゴルフ場が造成され自生地の多くが消滅したが、集落に「西山雪割草園」を造成してそこに移植した。現在、温泉施設も併設して多くの人に親しまれている。(※この施設の近くにある大崎神社境内にはスダジイの大木、ユキバタツバキの群生が見られる)

写真2017.2.16大崎海岸 右上2013.12.24鯨波


            蕾の頃の様子

写真2014.2.3鯨波

              つぼみの頃

写真2015.12.15鯨波海岸

            冬の開花の様子(改良種)

写真2015.12.15番神 貞心尼剃髪の寺跡
              改良種-2
写真2017.2.1田塚 カヤ藪の中で



解 説
ヒガンバナ科
 暖地の海岸近くに生える。また観賞用として栽培されてい多年草。球根ははラッキョウ形の鱗茎で黒い外皮に包まれている。
 茎は鱗茎内部にあり地上には現れない。
 葉は4〜6枚重なるように出て白緑色で質は厚い。
 花期は12月?3月頃で葉の間から花茎を伸ばし白色や黄色の花をつける。蕾はに覆われている。
 花被は6片で平開し下部は筒状、副花冠は八重のものとラッパ状のものがある。雄しべは6個で下位子房は3室、果実はできない。
 名前の由来は漢名の「水仙」による。由来は漢名前りに自生するものは副花冠が八重になったものが多い。ラッパ型のものは栽培種が人家や畑周りに多く栽培種に多い。



    海岸近くの山斜面にて
2015.12.12椎谷海岸

     葉の様子

写真2015.12.15鯨波

 包に包まれたつぼみ〜開花
写真2013.12 23鯨波
写真2017.2.16大崎
写真2017.2.16大崎
写真2017.2.16大崎海岸