オニヤンマ
暮らしとの関わり
 石黒では「オオヤマトンボ」と呼んだ。(筆者はオニヤンマの方言と思い込んでいたが、オオヤマトンボも実在しほぼ全国で見られるオニヤンマに酷似したトンボであることを知り驚いた)。
 オニヤンマは、子どもたちにとっては、魅力的存在であり、意外に捕らえやすいトンボであった。捕らえ方は、木や草につかまって休んでいる(眠っている?)ところを虫取り網で捕らえるか、飛行ルートを知り待ち伏せしていて網で捕らえるかでのどちらかであったが成功の確率は高かった。
 お盆の頃になると家の小路の上を悠々と飛んで来て、一定のところで素早くUターンして戻って行くことを繰り返えす。これはオスの習性であり、メスが近づくとアタックし交尾し、オスが近づくとスクランブルをかけて追い払うのだという。
 筆者が子どもの頃は、生家の70mほどの小路から家の前庭までが毎年の飛行ルートであり時々、家の中まで入ってきた。他のトンボに比べて家の中に入っても人を恐れず堂々としていた。しばしば、ホバリングして何かを観察している様子も見られたが、子どもの目には「この家も俺の縄張り」と主張しているようにも見えた。当時、座敷の上を旋回していた、羽音がするほどの夥しい数のイエバエを餌にしていたのかも知れないが捕らえる姿を確認したことはなかった。
 オニヤンマを捕まえて羽をもった感触を今でも生々しく思いだすことが出来る。また、今にして、頭部を真正面から間近に見ると凶暴な面構えをしていて、まさに「鬼ヤンマ」の名前にふさわしい面相である。一方、エメラルド色の眼の宝石のような美しさには魅了される。
 また、子どもの頃、自分の体重より重いアブラゼミを捕らえて地上に落ちてくるオニヤンマを生家の小路で見かけたことがある。アブラゼミより小型のヒグラシは捕らえて飛翔する姿は何度か見た。お盆の頃になるとオニヤンマに捕らえられたヒグラシの鳴き声が毎日のように聞えたことを憶えている。

(上写真2005.8.1下石黒 右上2005.7.19大野)


          オニヤンマの産卵

 写真 2005.9.29 寄合

          羽化直後のオニヤンマ

撮影 2020.7.5 上石黒地内 田辺須磨子 

             前からの様子

写真 2005.7.10 下石黒

             横からの様子

写真 2005.7.19.寄合

        オニヤンマの体のつくり

〔前文略〕「とんぼつり今日はどこまで行ったやら」
この句のように私は子どものころ(大正5年ころ)、トンボ捕りに夢中に戸外を駆けまわった記憶がある。ギンヤンマやオニヤンマは地面から2〜3mの高さのところを何回も往復する習性があるから、待ち伏せしてしていて網をかぶせるか、糸の両先に小石を布切れで包んでしばりつけたてトンボの飛んでくる目の前に投げると、その糸に絡まって落ちてくる。トンボは何回も往復するので、数回失敗しても最後は成功する。また、キンヤンマの雌は腹が白いから、雌の足に糸を結んで飛ばすと、雄が近寄ってくるから、それをつかまえることができた。
とにかくトンボを捕らえることが楽しみだったが、トンボと遊んだあとは決して殺さずに放してやった。

      大橋英一著〔大野出身〕「95年間の旅路」から抜粋
         

解 説
オニヤンマ科
 日本最大のトンボで体長10pを越えるものもある。メスはオスより大きい。雌は尾の先から産卵器が突き出ている。左下写真
活動域は広く平地の湿地から山間部の小川や水路など付近でよく見られる。
 日本全国で6〜9月まで山道や農家の小路道の上などを往復して飛んでい姿がみられる。一定の距離を決めて往復して雌が近づくとアタックする。またオスが近づくと攻撃して追い払う。
 産卵は大型トンボではあるが小規模の沢などの水域で尾先を泥に突き刺して行なう。左下写真
 食性は肉食性でハエ、アブ、ガ、ハチ、時にはセミなど捕食する。
 幼虫は砂泥質の細い流れの小川などにすむ。幼虫の時期は3〜4年と長い。食性は肉食性でミジンコ、ボウフラ、オタマジャクシ、小魚、他のトンボの幼虫など。
 名前の由来は黒と黄色のだんだら模様から虎の皮のふんどしを締めためた鬼を連想したものと言われている。



   飛翔するオニヤンマ

撮影2005.9.1 落合

     胸部と頭部


写真 2008.8.4下石黒

       オス付属器

写真 2008.8.4下石黒

       羽化中

 撮影 2020.7.5 山本浄司 

     羽化後の抜け殻
撮影 2020.7.5 田辺須磨子

  オオヤマトンボの思い出

昔、子供の頃(昭和30年頃)はトンボがたくさん飛んでいました。昼寝時にオオヤマドンボ(オニヤンマ)が家の中に入って来ることもありました。オモチャなどなかった時代で母がよく捕まえて、手か足に糸を結わえてくれたのをタコあげのように飛ばして遊んでいました。頃合をみて母は「そろそろみじょげだすけ、逃がしてやれやぁ」と必ず言うので糸を切って放してやりましたが、遊びの中から命や心を教えられていたように思います。

大橋洋子(2009.4.22寄稿