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天正の頃、織田信長石山御本廟へ意趣をふく
 み合戦の折から
明道、早速欠け登り法歎の難を防がんと粉骨
 砕身の働き比類
なく数度の戦いに勝利を得、終に明智のため
 に信長滅亡以後安堵
の思いに住し帰国を願いければ長々の働き神
 妙なりとて御褒美
御形見として三百代の御本尊顕如上人より申
 し置かされる。之により天
正九年越後田中へ帰り程なく死去す。その時
 嗣法秀賢に遺言して
我、長々籠城し朝夕顕如上人の厚恩をこうむ
 りこの
 意訳文
                                                                         
天正の頃、織田信長、石山御本廟へ遺恨をも
って合戦となった折には明道はさっそく駆け
上り法歎の難を防がんと粉骨砕身の働きをし
た。
そして終に明智光秀のために信長滅亡以後、
安堵の思いを得て帰国を願ったところ、長々
の働き神妙であったと御褒美、記念として三
百代の御本尊を顕如上人よりいただいた。こ
うして、天正九年(1581)に越後田中へ
帰り程なく死去した。
その時、後継ぎの秀賢に遺言して、私は長々
と籠城し朝夕顕如上人の厚恩をいただいた。
この