西方寺先代坊守桑田明子様の告別式に参列して − 2020.9.14
 
参加   
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  昨日(9月14日)菩提寺西方寺の前坊守桑田明子様の告別式に参列しました。告別式当日は夜半からの雨もあがり前日までの厳しい残暑も嘘のような涼しい日となりました。
 告別式は9時半から執り行われ、11時の出棺時は、さわやかな心地よい微風の中、故人との最後の別れが行われました。
 故桑田明子様は新潟大学を卒業後、元柏崎高等実践女学校で家庭科の教師として閉校まで勤務されました。
その後、夫で前住職桑田證栄様を助け生家の同寺坊守として尽力されました。また、趣味の俳句は実母の先々代坊守様より若い頃に手ほどきを受けられ生涯創作にいそしまれました。上の掲載写真故人法名の一部「浄詠」はそのことをあらわしたものとお聞きしました。
 また、西方寺では太平洋戦争終戦前後(1944〜45)には80名ほどの疎開児童を受け入れられました。その時、故人も小学校高学年のころで同年齢の疎開児童もおり一緒に遊んだり、世話をしたりと持前の面倒見の良さを発揮されました。そんな故人の人柄を疎開児童も生涯忘れることなく、平成22年まで交流会が続けられたのことです。
 
  また、故郷石黒在住の女性の方々は「お取り越し」などでお世話になった時にはいつも心のこもった対応をいただいたことを、今ほど過疎化が進んでいなかった当時の思い出をまじえ感謝をこめて懐かしく語っております。
 私の記憶では、故人が体調を崩されたのは、今から7〜8年前ではないかと推察しております。といいますのは、我が家の本家の屋号「西」の故大橋玉枝さんの納骨の折に境内のお墓まで足を運んでくださったのですが、顔色も悪く体がふらつく様子でいらっしゃったのでとても心配したことを憶えております。おそらく、大橋玉枝さんが新潟大学の先輩であり交友があったので体調不良を押して参列下さったのではと今にして思っております。今頃は、お浄土でお二人が再会され楽しく語り合っておいでかと想います。
 御主人であられます故前住職様と故人様には、石黒村檀家一同大変お世話様になり有難うございました。
 一同心より故人をおしのびして念仏申し上げます。

           
(HP 石黒の昔の暮らし編集会−大橋寿一郎)