石黒の出稼ぎの人達が遭難した話

酒造りの出稼ぎの人達が、確か3人で、年末にお正月のために帰りました。柏崎から雪道を歩いてきて、上向から峠越えをするときは既に午後なっており、天候も悪かったことでしょうが、一人ではなく仲間もあり、また、一日も早く家に帰りたい思いで峠越えにかかりました。
 雪道の峠越えで一番恐ろしいのは、上っていく側と反対側とでは、天候や雪の質が違うということです。このことがたまたま遭難につながります。
 この出稼ぎの人達は、夏道の急斜面の道は通ることは出来ませんから、俗に言う馬道の峰を越えておりました。峰を境にして方位も変わり、吹いてくる風の方向も違います。一瞬にして猛吹雪の山の斜面に立ちました。
峠道、遭難地点及び大野集落、板畑集落の位地
下から雪を巻き上げてくる吹雪で一寸先も見えません。漸く夏道の峰に生えている松の木を見当に降り、一本の松の木の下に寄ったのは日も暮れてからであったことでしょう。吹雪の合間に板畑部落の灯が見えますが歩くことが出来ません。このままでは人家を目前にして凍死すると思い、声を限りに板畑部落に向かって叫びました。その声も吹雪に流されて届きません。
遭難を知らない家族は、帰ってくるはずの日が過ぎても帰ってこないので、出稼ぎ先へ連絡してみて、漸く事の重大さが分かり、村中騒ぎとなりました。
松の木の下に寄り合って雪に覆われている遺体が発見されてのは3、4日たってからでした。
遭難した人達が助けを求めて叫んだ声を吹雪の間に間に聞いた人もあったといいますが、人の声か吹雪の音か定かでなかったと、後日、人の話に聞きました。遭難の地点に供養塔が建立してあります。
              高橋義宗著 「鵜川の話」から
※筆者が子どもの頃に聞いた話では遭難地点は大野集落の数百メートル手前であったとのことです。〔写真資料 大橋 〕