高柳・板山線
 門出および石黒方面の強い要望により、いわゆる釜坂峠道が県道に認定されていたが、まったく車の通れない名のみの県道であった。
 そこで当時道路村長といわた田辺伊久の車道改良運動に門出地区〔区長中村浩章〕としても全面的に協力、昭和24年〔1949〕より林務・耕地・土木の3者合作による車道開さく工事が開始され、昭和27年全線開通、釜坂県道にかわって県道に昇格、陸の孤島といわれた石黒村に、越後交通バスが運行されるようになった。
        
〔高柳町史−近代−交通運輸より抜粋〕