しがらかき(柵かき)
                                   田辺雄司
 
 私が、子どもの頃(昭和10年代)大人たちが土砂崩れ箇所や居谷川で工事をしているのを見たものであった。しかし、昔のことであり、記憶も曖昧なところが多いがおよそ次のような工法であった。
 まず数本の杭を等間隔に川底に打ち込む。その杭の間にボイ(粗朶)交互に通していく。通し方に下記の二通りあった。ボイ(粗朶)は広葉樹のナラ、クリなどの堅く強靱性に富んだ低木を束ねてつくった。

一般のしがらかき ナワ型しがらかき
 杭には杉材の素性のよい真っ直ぐな丸太や直径30pくらいの丸太を6本ほどに断ち割ったものを使った。長さは170p〜180pほどであったであろうか。
 杉材の代わりにナラ材やイタヤ材を使ったこともあった。それを打ち込む大型カケヤは大変大きく重いもので、だいたい30sはあったであろう。
 それから川の泥止めの粗朶かきを作るときには、川底の青い泥岩にツルハシで杭を打ち込む穴を掘ってから打ち込んだ。縦杭の長さは180〜200pはあったであろう。さらに、横木をナットの付いた長いボルトで縦杭と繋いだもだ。
 さらに、前方から図のような支柱を取り付けてしっかりと固定した。ともかく、大木な丸太を何段にも積み重ねてその上にボイ(粗朶木の束)を敷き詰めそこに土がたまるような仕組みであった。
 しかし、こうして村中総出で何日も掛けて作り上げた堰も梅雨明け頃の一晩の大雨でめちゃめちゃに壊されることもあった。こんな時は春先から雪の上をソリで集めた材料をつかい苦労に苦労を重ねて作ったものだから村中の大人は本当にがっかりした。
 しかし、私たち子ともは、その苦労も分からず、夏休みの昼寝時に上級生に引き連れられて川に行ってその長いボルトを取り外して、草藪に隠しておいと鉄くず屋が来たときに買ってもらったものであった。3、4年生も3銭ほどもらって隣村の店屋にいってあめ玉を買って食べたことを忘れない。
 その後、川幅の狭い所に堰を2、3カ所作ったようだが、泥止めに成功したようだった。もちろんこうした堰を作るときは役場から設計図のようなものが来た。

 今思うに、こうした粗朶と丸太や玉石を使った工法は、現在のコンクリートによる工法に比べ時代遅れの気もするが、自然保全から考えると優れた工法であり、近頃、見直されているということだ。