DDT
 DDTは、1939年にスイスの科学者パウル・ヘルマン・ミュラーによって殺虫効果が発見された。
 彼はこの功績によって1948年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
 その後、第二次世界大戦によって日本の除虫菊の供給が途絶えたアメリカによって実用化された。非常に安価に大量生産が出来る上に少量で効果があり人間や家畜に無害であるように見えたため爆発的に広まった。
 日本では、戦争直後の衛生状況の悪い時代、アメリカ軍が持ち込みシラミなどの防疫対策として初めて用いられた。外地からの引揚者や、学校の児童生徒〔筆者の世代1945−1950頃〕の頭髪や下着の中に粉状薬剤を浴びせる防除風景は、終戦時の記録映像として今日も残っている。
 当時の農村における衛生状態の改善にDDTの果たした役割は甚大なものがある。
 製造特許はガイギー社が持っていたが、アメリカから日本に持ち込まれたものは、連合軍からの援助として特別に許可されたものであった。〔DDTは、日本でも1945年10月に、京都大学工学部化学科の宍戸教授の手によって実験室での合成には成功していたが、工業的合成には至らなかった〕
 その後、化学物質としての危険性については、1960年代に出版されたレイチェル・カーソンの「沈黙の春」により取り上げられ認識が広まった。
 しかし、2007年現在でも主に製造している国は中国とインドで、主に発展途上国に輸出されマラリア対策や農薬としても一部では使用されており、残留農薬となったDDTが問題になることもある。
〔参考資料−ウィキベィアフリー百科事典〕