夜着(昔の掛け布団)
                      
 私の子どもの頃は、冬季でも敷布団は1枚で、自分の着ていた綿入れ(綿入れ着物)を肌にかけてその上に夜着をかけて寝ました。夜着はキモノと同じ形なので袖がついているため肩の部分が隙間ができず温かいものでした。
 私の祖父母は冬は湯たんぽを使っていました。囲炉裏で大きな茶釜で沸かしているお湯を入れて布にくるんで布団の中に入れて寝るのでした。
 
 夜着

 (翌朝は、その湯たんぽのお湯で顔を洗い、塩を指にしつけて歯を磨くのでした。昔の人は今の人たちに比べて歯は丈夫でした。また、たとえ歯がなくともタクアンも漬けも食べていました。)
 しかし、夜着は重いのが欠点でした。父と一緒に寝ていていつも重い布団だなぁと子ども心に思っていたことを憶えています。
 当時、夜着や敷布団は、2〜3年に一度、中の綿のほかし(打ち直し)をしました。母は何人かの人と一緒に綿を背負って隣村の棉屋まで行き、帰りには以前に届けておいた棉がほかし終わっているので、それを背負って帰るのでした。
 家に持ち帰ると母は早速洗濯しておいた布団皮の中に棉を入れて新しい布団に仕立てました。新しい布団は軽く温かく、子供ながらにも「じょんのびだなぁ」と思ったものでした。
 また、当時は今日のように布団を時々陽にあてて干すという習慣はありませんでしたが、春から秋にかけては、たまには、庭の日当たりのよい場所に、山から切ってきた股木を2本立てて横木を渡してつくった物干しに、布団を干すこともありました。
 晩秋の頃や残雪のある早春に久しぶりに陽にあてて干した布団で寝ると、夜着は温かく日向の香りがしてとても気持ちが良かったことを憶えています。
 お盆などに泊り客のあるときには布団を干して迎えました。しかし、お盆の泊り客やお寺の住職などが泊まるときには夜着ではなく四角形の現在の掛け布団でした。

 私は、秋から冬にかけては綿入れを着ていますが温かく、その上に昔の暮らしが偲ばれて今でも離せません。
          文・田辺雄司 (居谷在住)