トウドヨビ(当働招び)
                           田辺雄司
 昔は(昭和30年ごろまで)、一年間に農作業などの手伝いに頼んだ人たちを早春のころ招いて労をねぎらった。これをトウドヨビ(当働招び)と呼んだ。主に春の田植えや苗取り、田の草取り、それに秋の稲刈りには何人もの人を頼んだのでお客は10人を超えたものだった。隣村の人たちは、手伝ってもらうときにはお金を払っていたのでトウドヨビには招かなかった。つまり、トウドヨビに招く人は親戚とか、普段世話になっているなどの理由で無償で手伝いに来てくれた人たちだった。
 母は、トウドヨビには、一年間に収穫した芋類を清まし汁で煮付けたものとか、干し鰊を長く切って煮たものとか、豆腐を焼いたものなどをかんぴょうで見た目よく縛って、内朱膳の上にきれいに並べて出した。また、酒を好きな人には酒をだしたが、大抵の人が女の人だったので甘酒が主に出された。
冬の居谷集落

 その他おかずも何種類もつくって大皿でだした。
 みんなの話題はトウドに来てした仕事のこと、田植えの思い出や稲刈りの思い出。6月の田植え時期に寒さで手がしゃがんで藁を燃やして暖めた思い出などを話しながら母が作った料理をうまい、うまいと食べながら夜遅くまでにぎやかにすごしたものであった。
 吸い物の沈みには鶏肉が入っていたが、女衆の多くはお汁だけ吸って肉はお皿に入れておいて、帰り際に渡されたツトッコの中にお椀によそってあったおかずといっしょに入れて持ち帰ったものであった。(吸い物の鶏肉は家のもの分はなく、私たち子どもは翌日に骨をケヤキの板の上でナタの背でカンカンと細かくつぶしたものに米の粉を混ぜて団子にして食べたものだった)
 帰り際には、また来年もお願いします。とお互いが挨拶して提灯を下げて帰るのだった。
 このトウドヨビのご馳走は、その家その家で料理が異なり、そこの家のご馳走が話題となったものだった。子どもの頃には自分の母親の料理が一番うまいといって幾日もツトッコの料理を食べたものでした。寒い時期なのでツトッコに入れた料理を下方の座敷のカケンボウ(ものをかけておく棒)にかけて置くと結構保存ができた。
 また、これは、後で聞いたことだがトウドヨビの翌朝は近所の女衆を招いて芋の煮物などを食べてお茶のみをしたものだという。