タライ
 昭和40年(1965)代に電気洗濯機が普及するまでは、洗濯はタライの中で洗濯板を使ってした。
 上のタライはやや大型であるが、大家族が多かった当時はこれくらいの大きさの洗濯タライが普通であったであろう。
 上水道も完備していない時代、主にふろの残り水を使っていたが、用水に恵まれない家庭の多い石黒では洗濯は容易な仕事ではなかった。とくに乳幼児のいる家庭では毎日オシメの洗濯は欠かせず、夏の渇水期には川やタネの水も利用した。
 また、冬季や梅雨期の洗濯物の乾燥にも手間がかかった。乳幼児のオシメなどは囲炉裏の枠オシメ干しかごにかけて乾かすことも行われた。こんなわけで、当時はの家族の下着の洗濯は1週間に1回が普通であった。
 タライは村に桶屋があり、注文に応じて製造、修理をした。