天和三年石黒村御検地水帳(控) 矢沢繁徳文書
 
 






















  天和三 癸 年         
      亥

 越後国刈羽郡石黒村御検地水帳

       津軽越中守内

 閏五月
         大道寺隼人
 
  右高三十五石七斗一合 これははり紙
分米九十四石四斗七升四合 出(古?)高これははりふだ
   内、五十八石七升三合
 右高一石 はり札にてあり
一、山高五升   山三か所
 この山六十九町一反二畝二十歩 但し十町歩につき七厘
 柴山 四百間
    二百間 二十六町六反二十歩 村中
 柴山 三百間
    三百間 三十町歩 村中
 柴山 二百五十間
    百五十間  十二町五反歩  村中
 右高 六石三斗九升

一、青苧高 三石久斗一升
 この青苧畑三反九畝三歩 但し一反歩に付き十匁
      内
 かどた
 青苧畑  十二間
      十一間 四畝十二歩  権四郎
 同所   
 青苧畑  八間
      八間  二畝四歩   作兵衛
 水上
 青苧畑  六間
      四間  二十四歩   同人
 丸山
 青苧畑  八間
      四間  一畝二歩   清八
 かとた
 青苧畑  十四間
      十二間 五畝十八歩  権四郎
 
 かとた
青苧畑 十八間
    六間  三畝十八歩   作兵衛
やおは 六間
青苧畑 六間  三畝六分    同人
横まくり
青苧畑 七間
    四間  二十八歩    地太夫
同所
青苧畑 八間
    四間  一畝二分    同人
古宮  
青苧畑 十六間    
     三間  一畝十八歩  同人
こせき
青苧畑  六間
     ニ間  十二歩    同人
とうかんだ
青苧畑  六間
     二間  十二歩    佐兵衛
平畑        
青苧畑  五間
     九間  三畝十五歩  清八 
新林
青苧畑  四間
     四間  十六歩    同人
北山
青苧畑  五間
     二間  十歩    九兵衛
かつぶだ
青苧畑  三間
     二間  六分    次太夫
よこまくり
青苧畑  十間
     三間  一畝歩   九郎右衛門
外山
青苧畑  十間
     八間  二畝二十歩 市十郎
同所
青苧畑  三間
     二間  六歩    次太夫
びんかけさわ
青苧畑  四間
     二間  八歩
むかい山
青苧畑  六間
     二間  十二歩   同人    
 
東
青苧畑   五間
      三間  十五歩   九右衛門
同所
青苧畑   十間
      三間  一畝歩   甚左衛門
とうさん島
青苧畑   四間
      四間  十六歩   九右衛門
平畑
青苧畑   五間
      四間  二十歩   久左衛門
のがけ
青苧畑   五間
      三間  十五歩   太右衛門
にごり沢
青苧畑   三間
      二間  六歩    左兵衛 
同所
青苧畑   四間
      三間  十二歩   九郎衛門
上はし
青苧畑   二間
      二間   四歩   清八
同所
青苧畑   三間
      二間   六歩   市十良
家の下
青苧畑   六間
      四間   二十四歩 徳左衛門
しら山
青苧畑   二間
      二間    四歩  同人

 古高これ無く
一、漆高八斗四升
  此の漆木四十七本 但し一本に付き二合
     内
  二十三本     銀太夫         
          
 
 六本        加平太   
 七本        清八
 三本        九良右衛門
 三本        権四良

 色高小以て四石八斗
 古高四十三石一斗六升壱合外
  白布高三石六升新検これ無く
  是は張り紙にて有り
 田畑屋敷色高 九十九石二斗七升四合
   内五十三石五升三合出高これも下げ札
 
   同村新田
 かどた
 下田  十三間
    九間   四十三歩    権四良
 北田
 下田  四十間
    十間   三反五畝二十歩 徳左衛門
 
備     考 
           備    考
 表題のとおり、これは天和三年の石黒村の検地水帳(一部分)である。元帳は田辺重順家文書にあるが、その写しは寄合、落合等の各集落の組頭などにより書き写され現在も残っている。本文は寄合集落の矢澤繁徳家の文書である。
 本HP「カラムシ街道市の名前の由来について」で引用した「越佐郷村の古文書」には、「石黒の内落合村大橋範顕が筆写したもの」とある。この引用部分は上記の朱色文字の文である。「白布高三石六升・・・・」から、僅か二十六軒の村で白布高が三石六升であることに着目したものであろう。
 また、上記水帳には、石黒村の青苧高は29戸で三石九斗三升とある。
 ちなみに、桑山省吾氏の「南鯖石百姓衆の生活」によれば同じ天和検地での青苧高は石曽根(122戸)一石四升三合、山室(記録なし)一石六斗三升三合、大沢(55戸)が三石六斗四升七合である。

                                                                                読み下し・備考文責 編集会大橋寿一郎
 
 .....  
    反町茂雄文書Ⅱ  越佐郷村の古文書