恐れ乍ら書付を以って願い上げ奉り候     山中村文書  用語の手引
  松平越中守

御預所

山室村

岡野町村

大沢村

高尾村

山中村

女谷村

折居村

清水谷村

嶺村

市野新田村

谷川新田

門出新田

奥州

阿波国

上知
 


   恐れながら書付を以って申し上げ奉り候
       松平越中守御預所
         越後国刈羽郡
                   山室村
                   岡野町村
                   大沢村
                   高尾村
                   山中村
                   女谷村
                   折居村
                   清水谷村
                   嶺村
                   市野新田
                   谷川新田
                   門出新田
 右村々惣代山中村庄屋徳兵衛申上げ奉り候私共
 村々の儀往古より御料所御支配蒙り御迷惑
 のお取り扱い請け奉り村々平穏に相続罷り在り候然る所
 去る暮中より松平肥後守様御領分の内奥州並びに
 阿波国にて高五万石程御上知に相成り越後国
  風聞


出府


山田茂左衛門


井伊兵部少輔


黒姫山


米山


皆金納


松之山


堰揚げ

  おいて同高を以って村替え仰せ蒙らせられ候内当御預所
 より過半御引渡しに相成り候由去冬より専ら風聞
 これあり候に付き当郡中より願い惣代近々出府その
 御筋へ嘆願奉り候得共罷り越(?)の義に付き御取用に
 相成り難く未だ安心の御沙汰もこれ無く候に付き止むを得ず事
 出府嘆願奉り候当村々の義は往古より往古より御料所
 の御処御代官山田茂左衛門様御支配所の砌一旦
 井伊兵部少輔様御領分に相成り纔(わずか)十か年の内村々
 衰微困窮不穏悲嘆罷り在り候處間もなく御代官
 佐藤忠右衛門様御支配所へ御引き戻しに相成り重々
 有り難き仕合せに存じ候一体私共村々の儀は黒姫
 米山尾神嶽と申す高山の谷間飛び飛びにこれ有り候
 極山中の土地柄皆金納地松之山郷と地続き往
 古より御料所の御恩沢を蒙り相続罷り在り候
 村々に御座候處万一御私領渡し相成り候ては立ち行き難く
 第一用水路堰揚げ差支えその外種々迷惑筋
 多分これ有り田畑旱損荒地(?)に相成り候儀は暦然是迄
 御料所の御威光をもって他領より用水等引取り
 差支え無く安穏に耕し罷り在り候且つ又当御領分寺
   村替

風聞

私領

御預所→おあずかりどころ


〇年限御手当→
年限を定めた支援金のことであろうか。

永年賦

嘉永6年

安政3年

村山藤右衛門

蛮船

献米金
  泊り宿始め一万石程御取替えに相成り候哉の風
 聞承り及び候右伝変にて私共村々御私領渡に
 相成るべく哉の旨深く心配仕り候御私領渡しに相成り候ては
 迚(と)ても立ち行き難く村々亡村仕り候より外これ無く候間
 永世御料所に御居置き下され置きたく願い上げ奉り候
 一体私共村々の義は他組より郷立(?)悪しく当
 国無類の辺鄙困窮村々に御座候處畢竟
 当御預所御仁恵の御所置にて諸入用相減らし
 年来無難これ有り変異の砌は御年限御手
 当御拝借等仰せられ候えば永年賦御取立一
 同御恩沢感伏(服)仕り候右に付き嘉永六丑年安
 政三辰年岡野町村村山藤右衛門義は相応の
 身元にて御料所御恩沢相弁え前々より
 上金仕り蛮船以来御時節柄に付き抽んでて度々
 献米金仕りその他のもの共右に准じ銘々相勤めの
   村柄


莫大


永世


小前


佐州


御用


〇普請


手配


〇篠
→読み方は「ササ」か「シノ」か。





 
 村柄身元不似合い献米金仕り昨年も莫大の
 御物入り御用途の内一際相励み献金仕り候心得にて
 寄々員数談合相応の金高粗増し相談行
 届き候義にて永世御料所御支配を請け百姓
 一同相続仕り度小前末々迄相願い罷り在り候尤も山
 室村大沢村の義は佐州御用相勤め候得ば御私領
 渡には相成らず旨先前御支配様より堅く仰せ渡され候
 尤も申し上げ候通り当村々の義は別廉の儀に付き御私
 領渡しには相成りまじく候得共万々一御私領渡しに仰せ付けられ
 候ては村々御普請御手配行き届かず迷惑至
 極仕り候且つ又先年布施孫三郎様御支配所の砌
 右村々午高入新田申高入れ新田開発仕り候天保
 十二丑年青山九八郎様御支配所の節清水谷村
 地内にて高十七石余谷川新田開発仕り候弘化
 度篠本彦次郎様御支配所の砌大沢村にて
 高三十五石余新開仕り候少高の儀には御座候
 得共御国恩と相心得御墨筋偏に奉り永々
  〇居置→居→スエ→据え置く


年貢石代金


夫役


飢渇


眼前


箕笠


恩沢


差配


人気
 
御料所に御居置き下され置き度心得罷り在り候殊に
御年貢石代金の義十月十一日翌四五六五ケ月割合
月々御上納仕り候御私領渡しに相成り米永一納其の上多分
の夫役仰せ付けられ候ては素より米不足の村々
飢渇に及び候外これ無く元来出稼ぎ多くの村々弥々が上
人少々相成り往々亡村に及び候は眼前扨又
私共村々の儀は頚城郡魚沼郡両郡境にて
万々一御私領渡しに相成り候ては他郡へ押し揉まれ迷惑
至極途ても立行き難く候間村々小前箕笠を
着け御当地へ罷り出で重ねて御役人中様の御門前へ
一同して弥々御嘆願申しあげべくより外なくこれ無き趣決心仕り
何分村々人気立愚昧の百姓取り鎮め方手段
これ無く御預所御役人中よりも外費貿易其の外
品々御大用の折柄に付き年来御料所に安住仕り候
御恩沢相弁え穏やかに御差配受くべく再慮御理解御
座候得共当節に至り愚昧の百姓何分にも屈伏(伏)
  出府

〇御籠に取り縋り→直訴ということになろう 

〇「被為聞召訳」→「きこしめしわけなされ」


幽かにも→細々とでも

莫大

仁恵
  仕らず村役人共進退万々迫り申すべく諭術計り
 尽くし余儀なく村々惣代として出府恐れをも顧みず
 御駕籠に取り縋り御愁嘆申し上げ奉り候何事格別
 の御慈悲を以って右難渋の始末聞こし召訳なされ
 私共村々の儀当御預所に御居置き成し下され
 困窮の少民に至る迄幽かにも相続相成り一同穏やかに相
 治まり候儀仰せ付けられたく偏に願い上げ奉り候
 右願いの通りお聞き済まし成し下し置かれ候はば莫大の御仁恵
 と重々有り難き仕合せに存じ奉り候 以上

         松平越中守御預所
          越後国刈羽郡
             右村々惣代
              山中村
   文久元酉年三月 徳兵衛 印


  上
 読み下し・用語の手引文責  大橋寿一郎