口  上  用語の手引
 



口上 

江戸便→江戸からの手紙の意味であろう。

「頃」がくずされて「比」のようになり、上に「日」の文字があるように思われる

音物
 

高尾村


吉左右
(きっそう)→吉報


取り替え



石塚大五郎


村山藤右衛門



当用


※石塚家文書と年俵
 
    口上
  江戸便これ有り一件大分
  首尾宜しく正月十五六日ころ(比)
  帰国に相成りの趣申し来たり喜び入り候
  差し送り候書状並びに書(音)物
  一同相送り候御村方御悦び満々候
  はば高尾村へもお見せくださる様
  仕り度候先ず先ず吉左右(きっそう)相到り
  安堵致し候
一 年中取り替え通帳取調べ
  差し上げ候御帰りの上御勘定下され度候
一 歳末印は(盤) 金五十
  酒壱升 鱒三尾追って仕り候
  別(に)二百文大五郎様へ差し上げられたく候

 右申し上げ度 早々 以上(この行-推量読み)
  極月二十六日




 石塚大五郎様  村山藤右衛門
      当用
 
 読み下し・備考文責 大橋寿一郎  
                  備   考 

 本書簡文は、読解力に乏しい自分には難読文字が多く、この程度に読解するにも多くの時間を要した。なおかつ、読み進めても手紙の要旨がなかなか読み取れなかった。
 書き出しの「一件」とは何か、有名な山中騒動に関するものかなどと思いながら読み進めて行くに、「高尾村」または「音物」など言葉か出てきたときに漸く、領主替えについての取り消しの請願に関わる文書ではないかと気がついた。山中村及び高尾村の幕領から長岡藩への領主替えが行われたのは文久2年であり、徳兵衛が山中騒動で庄屋職を免ぜられたは、その2年後の慶応元年である。この時、大五郎は未だ13歳であり叔父の初衛門が後見人となる。つまりこの手紙は宛名は大五郎であるが差出人の藤右衛門は後見人の初衛門を意識して書いたているように想われる。
 手紙の最後に、大五郎宛てであるにもかかわらず、「大五郎様に差し上げられ度候」などあるのは、それを裏付けるものであるようにも思える。
 以上、読めない文字も数か所あり読解というより憶測に近い所も多いが、自分にとってこうした推理推測こそ、古文書読解の面白さであるので、読解中の段階で臆面もなく文章にしてしまう衝動に駆られてしまった。
 さらに、「この文をお読みの方でお気づきの方の御指導を乞う」という文を書き足すなら、まさに厚顔無恥と言われても仕方ないが、これこそ漸く到来したWEB時代の、自分のような先のない80才余の学習者には許される特権だと開き直っている。(2018.12.15)