越後国刈羽郡石黒村指出し明細帳 (田辺重順家文書)
   
 

     安永二年
   越後国刈羽郡石黒村指代出明細帳    
     巳三月
              下書き-1-  1-1
 -2-  
  御私領入会御座無く候
 九十一年以前天和亥年津軽越中の守様御検地
 一 高九十四石四斗七升四合  越後国刈羽郡石黒村
    内一石四斗四升 前の江敷引き
   残 九十三石三升四合
    この反別十一町四反五畝十九歩
       この訳
  上田七反八畝二分      石盛十三  

私領


江敷引


入会


上田

 -3-  
   この分米十石一斗九升二合
 中田一町七反一畝十一歩    石盛り 十二 
  内一反二畝歩 前の江敷引き
   この分米一石四斗四升
 残 一町五反九畝十一歩
   この分十九石一斗二升四合
 下田一町九反二畝七歩     石盛り 十つ
  この分米十九石二斗二十三合

 下田四反五畝十四歩      石盛り 七つ
  この分米三石一斗八升三合
 田方合せて四町八反七畝十四歩
   内 一反二畝歩  前の江敷引き
    此の分米一石四斗四升 
  残て四町七反五畝四歩
   この分米五十一石七斗二升二合 
      分米


石盛


田方


 -4-
   

 
 上畑九反六畝三歩    石盛り 十つ
  この分米九石六斗一升
 中畑一町二反十九歩
  この分米九石六斗一升
 下畑一町六反五畝八歩  石盛り六つ
  この分米九石九斗一升六歩
 下々畑五反三畝十二歩  石盛り四つ


  この分米二石一斗三升六合
 山畑一町五反三畝十四歩 石盛り二つ
  この分米三石六升九合 
 屋敷畑六反九畝九歩   石盛り十つ
  この分六石九斗二升
 畑方合六町五反八畝五歩
  この分米四十一石三斗一升二合     
 
 屋敷畑
※屋敷畑はその前に「山畑」の語があることから屋敷内の畑のことであろうか。石黒で「せんぜ」と呼んだ。
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漆高


苧高



       外に
  漆高八斗四升
  苧高三石九斗一升
  高五升
  私領入会御座無く候
  九十一年以前天和三亥年津軽越中守様御検地
 一高石一斗九升八合   同所 新田
   この田一町三畝九歩  石盛り 六つ
 

  御私領入会御座無く候
  九十一年以前天和三亥年津軽越中守様御検地
 一高十石四斗八升九合   同所 新□田
   この反別(米の字も見られる)一反九畝十四歩
    この訳
  中田二反一〔三?〕畝二十一歩    石盛り七つ
   この分米一石七斗二升九合
 下田五反二畝二十九歩   石盛り 六つ
 -6-
新田


毛付



〇小役


定納





色高
  

 この分米三石一斗七升八合
 下々田一町四反四畝二十四歩   石盛り四つ
  この分米五石七斗九升二合
  御私領入会御座無く候
  二十七年以前延享五年辰年牧野駿河守様御検地
 一 高五石一斗六升四合  同所辰改新田
  この反別下の下田一町二反九畝三歩  石盛り四つ
 田畑合十五町九反七畝十五歩


  内一反二畝歩
  この分米一石四斗四升
 残十五町七反五畝十五歩  毛付高
  この分米百十四石八斗八升五合
 一永七百六十七文七分八厘   小役定納
  これは高百石に付き永六百六十文づつ年々定納仕り来たり候 色高これを除く 一永百九十一文四分五厘 小役定納
  この荏二斗三升八合二勺 但し米一升に荏一升六合
       永百文に荏□□一升四文
 これは是(重複か)本田高百石に二斗新田高百石に一斗三升四合 年々
 右代永定納仕り候 色高これを除く。
 -7-
胡麻


 本田








御伝馬宿入用


六尺給米


山里蝋実穂


野山銭


下草銭


口永
 一 永六十五文三分一厘九毛   胡麻代定納
    この胡麻五升四合七勺 但し米一升に胡麻三升五合一勺
                永百文に〃(同じく胡麻)八升四合
 これは本田高百石のに胡麻五升づつ 新田高百石に胡麻三升四合づつ年々
 石代永年々定納仕り候 色高これを除く
一大豆七斗八升八合一勺       代永定納
  これは田高百石に五斗 畑高百石に一石一斗の定納仕り候
 御値段の儀はその年に仰せつけられ次第定納仕り来たり申し候
一永二十三文
 これは右小役永百文に永三文づつ年々定納仕り来たり申し候 御口永納
一永十四文五分          色分永

一米七升三合           御伝馬宿入用 
 これは(これは-重複か)高百石に付き米六升づつ即ち代永三分一同値段にて上納つかまり来たり申し上げ候
一米二斗四升二合二合三勺     御六尺給米
 これは高百(石?)に付き米二斗づつ三分の一同値段にて上納仕り来たり申上げ候
一永百十一文四分         山里蝋実穂定納
 これは漆木一本に付き高二升づつ御高請け仕り候 この漆木四十二本
一野山餞御林下草銭など定納    御座無く候
   田畑作りの次第
   
 -8- 早稲



三ケ一



土用明


二手詰め八把一束



種下ろし


二手詰め八把一束


種下ろし


出水


旱損地
 一苗代籾    上田一反歩に付き 籾 一斗三升当たり
        中田一反歩に付き 同 一斗四升当たり
        下田一反歩につき 同 一斗六升当たり
        下々田一反につき 同 一斗七升当たり
 これは上田には早稲、中田には中稲、下田には晩稲作り申し候、種おろし
 高下御座候 当村悪地にて元ふひ〔?〕申さず故年々□の通り種おろし仕り候
一稲草  早稲方は目黒田方四ケ一早稲方
     中稲方はもかみ白なかて田方四ケ二中稲方
     晩稲方はしろおく田方四ケ一晩稲方
 これは苗代春土用明けに種おろし五月までに植え付け申し候 刈り取りは
 八月より九月までにかり取り申し候

  稲取り実の事
一 上田一反に付き   稲六十五束 但し二手詰め八把一束
                    一束に付き有籾三升ほど
一 中田一反に付き   同五十五束 但し右同断
                    一束に付き籾二升六合程
一 下田一反に付き   同五十束  但し右同断
                    一束に付き取籾二升二合程
一 下々田一反につき  同四十五把 但し右同断
                    一束に付き取籾一升八合程
 これは当村の儀出水懸け□多きに付き旱損地にて稲出来方宜しからず
 こやし等念入り相卸し候えども近年片照り片降りにて土地あ
 しく罷りなり年々出来兼申し候
 -9-  
 

















自分味噌大豆


馬大豆(聞き取り中)


※深谷村→谷間にある村という意味であろう






作扶喰


※七ケ一7分の1
 大麦小麦       当村は作り申さず候
大豆
これは百姓自分味噌大豆馬大豆を当て作り候えども土地あしく故他所へ
売り候程御座無く候 年々他所より買入申し候 畑方の内大概七ケ一程作り申し候
上畑一反に付き一斗六升程 中畑一反に付き一斗五升 下畑一反に付き一斗二升程
に御座候その外畑作物何にても雪つもり多き故植え付け候ても出来
方宜しからず候
小豆
これは畑方の内大概七ケ一程作り申し候えども深谷村方故植□申すにつけ
百姓自分遣(使)い迄に御座候 少分の儀御座候え共一反歩に付き
なにほどと覚えこれなく候

粟
これは畑方の内大概七ケ二程仕付申し候 上畑一反に付き栗一斗八升程
中畑一反に一斗六升程 下畑一反に一斗三升程取れ百姓作夫喰仕り候
稗
これは畑方の内大概三ケ一程仕付申し候 上畑一反に稗一斗八升程
中畑一反に稗一斗六升程 下畑一反に一斗三・四升程取り申し候て作
夫喰に仕り候
木綿 これは一切作り申さず候
右の草々植え頃四月上旬頃 秋は彼岸に取り入れ申し候













  
 -10-  



















 
 質入れ金


1分永150文→永銭勘定


庄屋給米


組頭給→組頭給米


郷藏番給米


〇地子


高札


宗門改


1町


惣水流通


土目


門出村


嶺村


〇折居村(女谷村の一村)
  下々田一反に付き     質入れ金 一分永百五十文
 上畑一反に付き      〃    一分永二十五文
 中畑一反に付き      〃    永二百文
 下畑一反に付き      〃    永百五十文
 下〃畑一反に付き     〃    永百二十文
一米一石二斗一升一合二勺  庄屋給米
 これは庄屋二人にて極め年に取申し候
一永五百文         与頭給二人分
一米三斗三升九合五勺    郷藏番給米
 これは六ケ村にて千五十石余に割合御藏地子共


一御高札 二枚   但し 宗門御改めの御高札一枚
             □訴人の御高札一枚
 これは庄屋屋敷の内に立置き申し候
一当村    西東へ二十五町   惣水流通りは
              但し
       南北へ一り十丁   西方より東へ流れ落ち
一土目田畑共に黒土に御座候
一村境  東は門出堺 西は嶺村境
     南は門出村堺 北は折居村境
一家数 百二十九軒                                                                                                                                          
 -11-  
女馬


枝郷





旱損


百姓林


悪水吐樋
 一 人数七百人   内 男三百六十九人 
            女三百四十一人
一 女馬十二匹
一 当村枝郷寄合村境平村二ケ所御座候
一 当村堰□り山沢出水にて旱損多き村に御座候
一 百姓林 これは自分山にて刈り申し候




一 田方用水
    これは地方三ケへ鯖石川水下三ケ一は山沢出水用い申し候
一 堰 一ケ所御座候
一 悪水吐樋
一 橋四ケ所   但し 字下石黒 一ケ所
            〃寄合  一ケ所
            〃境  ヘイ  一ケ所
            〃上石黒 一ケ所
  これは村入用にて懸け申し候
一 悪水落口通り
  これは南北より鯖石川に落ち申し候  
 -12- 〇津出



〇郷藏


〇検地水帳


〇口止番所


〇氏神


〇黒姫大明神


〇徐地



〇越石


〇入作人


〇薪山


苧はた〔機織り〕

※「苧はた」とはカラムシから青苧を取り出し糸を紡ぎ縮布を織る仕事のこと。
 一 当村 御年貢米津出しの儀同郡女谷村郷藏に相納候
     女谷郷藏は柏崎浜まで付け出しそれより出雲崎北廻元船(?)に積み立申し候
一 当村 医者 諸職人  御座無く候
一 御検地水帳二冊
   これは当村庄屋方に預り申し候
一 口留御番所   御座無く候
一 宮 一ケ所黒姫大明神境内十間 畑二畝二十五歩
              八間半 
  これは古来より当村氏神にて村中支配境内書面の通り御除地に遣わし置き申し候
一 当村 黒姫大明神毎年八月朔日を祭礼と名付け 
     当村ばかり参り申し候
一 越石 これは柏崎甚次郎と申す者一人当村これ有り申し候
一 入作人
   これは右甚治郎一人当村に入作仕り外御座無く候
一 男女田畑の内稼    但し 男は薪山の稼
                女は苧わたの稼仕り候
   当村諸方へ道法
                 
                        
 -13- 山田甚二郎


(道のりの単位)


市振御関所
 一 越石にて柏崎甚二郎と申すもの一人当村これ有り候
一 入作人  これは右甚二郎一人当村に入作仕る外御座無く候
一 男女田畑の内稼  男は薪山稼ぎ
           女子は苧わたの稼ぎ仕り

   当村より諸方への道法
京都へ 百二十里  江戸へ 八十六里
高田城下へ 十二里半 今町(※直江津)港 十二里半
大阪へ 百四十里  村松城下 二十九里



村上城下へ 四十四里  長岡城下 十四里
柴田(※新発田)城下へ 四十四里 蒲原石瀬(※幕府領)二十里
糸魚川へ 二十六里 出雲崎へ 十二里
新潟へ 二十八里  柏崎 六里
市振御関所へ 二十七里  関川御関所へ 二十里
信濃国境へ 二十七里  出羽国境尾国へ 五十里
越中国境へ 二十九里  陸奥国境□法覚えず
右外□□御町場宿場伝え請けたまわず候
 -14-  






             庄屋  与三衛門
             与頭  清五郎
             〃   九左衛門
 風祭甚三郎様      百姓代 伝左衛門
   御役所       〃   与次右衛門      風祭甚三郎
読み下し文責 大橋寿一郎