弘化四年 白山宮再建志帖  (石黒資料館所蔵)  用語の手引
   







落合集落の白山宮-現代



弘化四歳(年)


   弘化四歳  落合村
 白山宮再建志帖
  申 正月日
 







白山大権現


行暮れ候はば~一宿お願い申し上げ候→旧暦の正月は新暦の2月にあたり尤も降雪の厳しいころであり近郷の村とは言え泊りがけで出かけたものであろう。
  
 当村白山大権現□□□(破損)
 相定就大破再建いたし
 度精々心懸け罷り在り候
 得共 素々(もともと)困窮の村
 方故 迚(とて)も自力を以っては
 及び難く 諸方御他力の御助成
 これ無く候ては普請成就
 行き届き兼ね 拠無く今般
 各々様方へ御苦労筋
 願い上げ候間 何卒御救いと御思召し
 御志御恵み下され度願い奉り候 且つ
 行暮れ候はば御救いと御思召
 一宿御願申し上げ候 以上
     刈羽郡落合村
  申正月    佐五左衛門
         太郎左衛門
 各々様


 
   





小貫村

村案内人→手間寄進扱い通りしたものであろう。

  
    小貫村
 一 銭 百文   小山□□(破損)
 一 〃 五十文  喜右衛門
 一 〃 三十文  八右衛門
 一 〃 十文   仙蔵
 一 〃 三十文  七郎右衛門
 一 〃 五文   清次郎
 一 〃 十二文  善四郎
 一 〃 十五文  みの助
 一 〃 十文   惣右衛門
 〆て 銭二百七十二文也
    外に村案内一人
      一泊り
 
   















名平村

 
      名平村
 一〃 銭 十文  佐兵衛
 一 〃  十八文 藤衛門
    飯米 
 一 〃 五文  政右衛門
 一 〃 五文  助右衛門
 一 〃 五文  八右衛門
 一 〃 五文  与次衛門
 一 〃 十文  彦右衛門
 一 〃 十二文 恩(?)右衛門
 一 〃 五文  由右衛門
 一 〃 十二文 権兵衛
 一 〃 三文  同家
    飯米
 一 〃 十文  林右衛門
    こめ
 一 〃 九文  家内中
 一 〃 五文  金左衛門
   
  
 一 〃 五文  作右衛門
 一 〃 六文  宇右衛門
 一 〃 五文  徳左衛門
 一 〃 十文  伊助
 一 〃 五文  仙蔵
 一 〃 十二文 滝左衛門

 〆て百七十六文  村中
      米五合
 外に 村案内一人
 泊り 二人
   
           備   考
 落合集落の祭神は、伊弉冉尊(イザナミノミコト)であり例祭日 9月1日(現在-2005-は10月中旬に収穫祭として神事を行っている)
 御神体は、とぐろを巻いた蛇を胸に抱いた仏像である。しかし、落合の神社の御堂は筆者が子どもの頃からなかった。境内の中央に石の台座をつくりその上の祠の中に御神体が祀られている。伝え聞いた話によれば、何度か火災などの災害に遭い再建を諦めたものということだ。この文書は弘化4年に再建を目指しての勧進帳であろう。 
 趣意書きに「大破再建いたし度」とあることから風害などにより大被害を受けたものであろう。寄付金集めに歩いていたのは近郷の村々であるが、旧暦正月であり降雪の多い時期であったため泊りがけであった事が分かる。
 寄進の金額をみるに、弘化年間の1文は現在の30円相当と換算して見るに意外に少ない金額のようにも思われる。       
  しかし、地元石黒地内での寄進は。それなりの金額が集まったものであろう。
 尚、本帳簿は、その一部を掲載したものであり、他に寺田村、諏訪峠村、小池村、蒲生村、儀明村、石畑村より寄付金を集めている。これらの村々の寄進の合計は1,773文となる。金貨で2分に満たない金額である。
 1文を30円で換算するなら現在の5万3千円ほどになろうか。やはり、少額のようにも思われるが、当時の暮らしを知るなら納得のいく金額であるに相違ない。
 また、この年3月には善光寺地震が起こり、石黒の大野村では甚大な被害が発生している。とはいえ、この帳面の日付が一月であることから神社の「大破」は地震との関連はないことが分かる。

 ちなみに、帳面の裏表紙に「昭和32年正月、大橋長治、土蔵の本箱より見つけ出し参考のために大切に保存する」という書き込みが見られる。

    
 読み下し・用語の手引き・備考文責 大橋寿一郎