学校で遊んだ女の子の遊びの思い出

                    大橋洋子

 私たちが子供の頃は(昭和20年代後半から30年代)学校へ行くのに教科書の他にランドセルの中に色々な遊び道具を入れて行きました。ちょうど終戦直後の物不足で食うや食わずの時代から「生活改善」という言葉が聞かれるようになり、めまぐるしく世の中が変わり始めた頃でした。
 持って行った物は主に、なんご(お手玉)や、はじき又はキシャゴ(おはじき?)でしたが、最初に遊んだはじきは材質が軽く、形は花型で中心に穴があり、赤青黄色、ピンクなどの色付きでした。後に出回った硬質材の方が音も使い勝手も良かった事を覚えています。
 他にも、てんまり(マリ)やビニールの縄跳び、毛糸のアヤトリなどを持って通いました。お手玉は中に小豆を入れて手作りしたものをさらに布袋に入れてランドセルやかばんに詰め込んで持ち歩いたものです。

キシャゴ(おはじき)

 授業時間の合間の休憩時間や昼休みなどに、次の始業ベルが鳴り響くまで教室の隅や運動場で思いきり遊んでいました。放課後は集団下校でしたから上級生や集落の全員が揃うまで、昇降ぐちの上にある二階の家庭科教室へ行く階段を利用してよくマリつきをして遊んだものです。
 また、運動場の隅っこでも銘銘が思い思いに縄跳びやマリつき、お手玉やアヤトリなどをして遊んでいたことが懐かしく想い出され、今でも遊ぶ姿が見えてしまうほどです。

 特にお手玉は声を出して唱え言葉に会わせながら両手を使って、手の甲や腕や指先を器用に動かしながらの遊びで、女の子の遊びの中では一番人気だったように思います。
 ですが、その頃はまだ小石のおはじきもあり、ゼンマイの綿と糸で作った手作りのマリもありました。「てんまり」も綺麗な色柄模様のゴムマリなどは誰もが持てたわけではない貧しい時代でしたが、学校でいじめが問題になった記憶もありません。ある物で子供達は休み時間をめいっぱい楽しみながら、むしろそんな中から協調性や忍耐力を身につけたように思います。
                  (福島県在住)