門出から石黒へ
                        高橋初音

 私は昭和20年2月、門出で生まれました。よく "終戦っ子"と言われましたが、終戦は8月15日ですから正式には "戦中っ子"ということになります。小学6年生まで門出で暮らし、中学へ入る年、父の仕事の関係で柏崎へ引っ越しました。門出での暮らしは、戦後の何もない時代で、どこの家もみんな貧しい暮らしぶりでしたが、悲壮感もなく穏やかな毎日をすごしていたように記憶しています。
 小学校も高学年になると石黒小学校(中学校も一緒だったかもしれません)との合同の運動会がありました。門出から石黒まで歩いて行って運動会をやり、終了後は、また石黒から門出まで歩いて帰ったものでした。
今にして思うと、よくマア、あの長い道のりを往復、元気に歩き通したものだと思います。当時の道路は砂利道で、履物は粗末なゴムの短靴かズックで(わら草履の子もいたと思う)そして、何よりも運動会のあとの疲れた体で・・・・。何かの歌の一節に、疲れを知らない子どものように~とありましたが当時の子ども達は疲れなど知らない元気な子どもばかりだったように思います。60年以上も昔の話で記憶もかなりあやふやになっいるのですが、あの運動会は石黒への道々前後左右の山々の紅葉がとてもきれいだったことなどから、たぶん秋の行事だったと思われます。
 25才の年に縁あって中学校教師の夫と結婚しました。その後かなり年月もたった頃、夫が石黒中学校へ異動(単身赴任)することになり、教員住宅に入れていただくことになりました。たまには、部屋の掃除もしなくては・・・・ということで、掃除下手の夫を手伝うため私が石黒へ出向くこともありました。自分の古里の門出を通って行くということもあって、子どもの頃歩いた砂利道と打って変わって立派になった舗装道路をルンルン気分で車を走らせたものでした。
 今、我が家には夫が石黒中学校在職中に撮った写真がたくさんあります。(※本サイトの表紙の写真も高橋さんの撮影されたものです-編集会)
 雪消えが始まって黒い土がのぞき始めた早春、田植えが終わり水田の緑が一段と濃くなった初夏、イチョウの葉の鮮やかな黄色が集落を照らす秋、降る雪に山や、木や、家々がすっぽり包み込まれ白一色の世界に変わってしまった冬。石黒は春夏秋冬、美しく、どこか懐かしく・・・・。
生まれ育った門出とともに私の大切な古里になっています。