ツバメ
                         田辺雄司
 大雪の年の多かった昔は、4月の初め、まだ石黒は残雪に覆われている頃にツバメはやってきた。
 ツバメの到来は春と共に子どもにとって待ち遠しくうれしい事であった。その頃になると「おらち昨日ツバメが来たぞ」「おらち一昨日来たぞ」などと言って口げんかになるほどであった。
 当時(昭和のはじめ)は未だ居谷には電灯が通じて居なかったので、電線はなかった。ツバメは木の枝や雁木の軒下あたりに止まっていた。
 その頃、私の家ではトマグチ(玄関)に1つがいと雁木近くの座敷に1つがいのツバメが巣をかけていた。祖父がそれを毎日、楽しそうに見ている姿を思い出す。子どもの自分は、あんなに長い間見ていて飽きないのだろうかと不思議に思ったほどだった。巣の下には新聞紙を敷いて毎朝糞を片づけるのも祖父は自分でやった。
 私たちも、家の中に巣作りをするツバメの様子を見ながら御飯を食べたものだった。
 ツバメは夜になるとつがいの2羽が、作り始めて巣にとまり、もう1羽は巣の近くに祖父が打ち付けてくれた板の上ですごした。
 朝には祖父はいつも早く起きて雁木の戸を開けてやった。するとツバメは喜び勇んで外に飛び出した。トマグチの方のツバメは戸がないのでいつでも好きなときに飛び出す事が出来たが家の中のツバメはそうはいかなかったからだ。
 子どもの頃に、祖父といっしょによく観察したが、不思議に思ったのは、泥といっしょに藁くずや馬の毛などを加えてきては積み重ねることであった。祖父にそのことを聞くと、ベト(土)だけでは崩れてしまうのでツナギ゛といって藁くずなどを混ぜるのだと教えてくれた。このことを聞いて自分はやっぱりツバメは利口な鳥だな、と感心したものだった。
 大人になって、このことを思い出して思うことは、人間が土壁を塗るときには、土をふるいに掛けて細かい土で練るのだが、そのとき一寸(約3p)ほどに切った藁を必ず入れるのは、ツバメの巣作りと同じであると言う事実であった。ツバメが人間から学ぶ訳はないのだから、人間がつばめから学んだのではなかろうか、などと思った。また、ツバメが初夏の田の稲の上をすいすいと左右上下に素早く体制を変えて飛ぶ姿を見ていると、太平洋戦争中、敵国に怖れられるほどの性能をもった小型戦闘機ゼロ戦を連想したりした。
 私の家も毎年、ツバメが来て巣作りをしているが、最近は過疎化が進み、家族も村人も少なくなり、玄関の出入りが少なくなったせいか毎年の様にヘビにやられる。さぞかし、ツバメも巣作りの場所に不自由しているだろう。