子 守 り
                       柳 橋  孝
 赤ん坊を帯でおんぶしたのは遠い昔のような気がする。街で見かける若い母親の多くは、既製のひもを利用し、カンガルーのように抱えている。やはり、赤ん坊にはこの方がいいのかもしれないが、子守りをしながらの仕事は不可能であろうと、かつての子守の姿が彷彿されるのである。
 おぶいひもは、男の三尺帯が外出用。ふだん用には、天竺木綿か、晒し木綿が、子守っ子に合わせて切って使われた。私は六つのときから、二年おきに生まれる弟の子守りをさせられた。
 お下げ髪を手拭で包み、前のほうに両端を持ってきて結ぶ。それから、赤ん坊の両脇をひもで支え、胸のまえで交叉し、児のお尻をまるでハンモックのなかに入れられるように包み、両端を前に持ってきて結ぶのだ。そのときに応じ、帯を緩めたり、強くしたりする。緩めて腰かけると、背中の児は、キャッ、キャッと足で立って喜び運動するのだ。
 こうして子守りをしながら、かくれんぼ、なわとび、学習などし、背中の弟たちを喜ばせながら少女時代を過ごした。そのおかげで、姉としての座はいまでも厳然として保たれているのである。
 母は六十歳を過ぎてから、三人の孫を子守りし、農作業、家事一般をこなしていた。が、年をとってからの子守りは、なみたいていではなかったろう。腰が曲がって、負うことはむずかしいので、猿回しの猿よろしく、大黒柱に児の腰にひもを縛りつけて、いろりや、不測の事故を防ぎながら家事をこなしていた。ある日、母が所用で子守りを嫁に託してでかけた。自分の子を見ていた若い母親が、ほんの少しのあいだ座を離れた隙に、ひもが解けて赤ん坊が這い這いして、いろりに落ちてしまったのだが、ちょうどそのとき幼い娘たちが居合わせてすぐ拾い上げた。
 しかし、髪の生え際に火傷し、一週間ほど入院した、と母が電話をかけてきて、「俺の子守りのときでなくてよかった。親がついていてやったことでね。野口英世のようにならなくてよかったがね」と言ったが、私はびっくりしたり、安堵したりしたものだった。

          〔旧姓田辺 上石黒出身 川崎市在住