学校の帰り道の思い出
                         矢澤しさい
 子どもの頃、私たちは学校から落合集落を通って寄合の自宅に帰ることが時々ありました。とくに、下石黒に葬式があるときにはいつも落合集落を通ってに帰ったものでした。それは、下石黒の火葬場が通学路のすぐ近くにあって気味がわるかったからでした。
 落合集落を通る道は落合の屋号「まなごだ」の下をとおって落合川に沿って寄合の屋号「かくぜん」の脇に出る道でした。この道は荷車が通るほどの道幅があり、当時としては立派な道だったと思います。
 落合集落の方も寄合のバス停に出るときなどにこの道を利用されていました。

 また、春の頃には城山(下写真)を越えて帰ることもありました。
 昔は、この道が石黒から寄合への主要な通路であり、昭和の20年代になっても冬季や夏季でも橋が流失するなど現在の県道が通れなくなるとこの道が通学路となりました。
 城山の尾根づたいの冬季の道は両側が絶壁のため馬の背のようで、それは怖ろしかったと聞いています。
   黒矢印→「姫様」の祠のある場所 赤矢印→城山を通った道

 でも早春の頃は、この道を通って家に帰るのは楽しいものでした。春一番に芽を出すアサヅキを採りながらズボンを泥だらけにして帰ったことを思い出します。
 また、寄合集落の真上の高いところに祠(ほこら)があり、私たちは「姫様」と呼んでいました。そこで一休みをしてユキツバキの花を折ってオハナギに供えたものでした。
 そこからの眺めは、すばらしく遠くの真っ白な山が美しかったことを今も忘れません。
                         
 (横浜市在住)