ひとらごと   DATE20200115

                

        「しめ縄つくり講習会」に参加して

                大橋末治(令和2年1月14日)

 昨年の暮れ、在住する東海市主催の「正月用しめ縄つくり講習会」開催の案内があった。自作のしめ縄も趣があるのでは、と思い参加した。
 会場には、5名ほどの講師と20数名の受講者が集っていた。地域活性化を担う地域の報道メディアの訪問もあった。会場である館長の挨拶、代表講師の説明が終わると早速、実技に入った。使用する材料は、青田刈りした藁を予め適度な湿気を含ませ、必要量毎に仕訳し輪ゴム等で止められたものが各自に配布されていた。湿りのある藁に接した瞬間、全ての講師は農家関連の出身者で、藁に関する全ての事象を知り尽くした熟練者であろうと思われた。そして、縄をないながら、湿り気を与えるため手に唾をかけていた頃を思い出し、関係者の事前の心尽くしに感銘を受けた。全ての講師は各参加者にも丁寧に対応してくれた。
 締め縄は太く、多くの藁を束ねながら手のひらで縄をなうのは可成り難しい。参加者の様子を見ていた講師は、片側ずつ独立にヨリをかけながら巻き上げていく縄ない手法(裏ワザと言っていた)を推奨していた。私はグループの末端に位置していたこともあり、講師の眼を逃れながら、通常の手のひらで縄をなう手法を試行してみることにした。藁の一端を足で固定しながら手のひらで縄をなった。久しく縄をなっていなかったが、子供の頃の体験は意外に身に付いており、自分でも驚くほど上手くできた。一通り縄をなった後、表面を見映え良くするため、縄全体に強いヨリをかけ、ひげまでとる所作も加えた。やがて、講師の目に留まることとなった。講師たちが、「こんなきれいなしめ縄は市販品にもない」と身に余る評価を頂く羽目になった。お世辞と分かっていても嬉しいものである。これを観ていたメディアの方もやってきて「一番早く出来上がり、良くできている人の所へきました」と言う上手い言葉に乗せられ、質問を受けることになった。質問者も「縄をなう」という言葉は初めてと言うことで、夕べ辞書で調べてきました、と言うことであった。途端に、私も質問者に親しみが湧いた。いろいろ質問された。新潟県の雪深い山村の学校では、学校行事に「縄ない大会」があったこと、厳寒の長い冬季間には、囲炉裏を囲み「家族で藁仕事(縄ない、ぞうり、蓑など)」をしていたこと、このような環境下で「子供は見よう見まねで技を身に付けた」ことなどを話した。縄がきれいに出来上がったのは、講師の方々の藁の湿度管理等にみられるような陰のご尽力のお蔭とも付け加えた。
見よう見まねで体験的に身に付いたものは、長期間、閉ざされていても再現できるものだ、と驚きながらも、幼き頃の「かけがえのない石黒村の生活」を思い出し幸せを感じ、そして感謝している。

 この話には「続き」が生じることになった。
 何処から伝わったかは定かでないが、私がしめ縄つくりの講習会に参加したことが、親戚に伝わった。その親戚の知人に農家の方がおり「青田刈りした藁がある」とのことで、突然2足(16束)もの沢山の素晴らしい藁が、我が家に届いた。殊に、懐かしい藁の香りは、何とも言えぬ郷愁を誘った。兎に角、全てが突然のことであり、大いに驚いた。
結果はご想像の通り、親戚筋に「しめ縄」を造って返礼することになった。作業開始に当たり、しめ縄用の藁材料はあるが、しめ縄用の飾りの調達が必要となった。市販製品を探したが適当な品物が見つからなかった。思案している内に、妻が娘の結納時受領した飾りを探し出し、これを再利用することになった。出来映えは、添付写真の通り。
気が付くと10数組のしめ縄を造ってしまった。“豚もおだてりゃ木に登る”を地で突っ走ってしまった。今年、八十路を迎える身には、勇み足も度を越していた。手のひらを見ると、すっかり指紋が消え、何とも情けない手のひらに変身していた。正月用しめ縄は、購入品で済ます人が多い昨今、日本の伝統文化の存続の難しさを想いながら迎えた正月となった。