ひとらごと   DATE20190721
 

自然界の畏れ(おそれ)(ツバメ家族との出会いを通して)

大橋末治(2029.7.20)

 ほぼ10年前のことになるだろうか。2年続けて我が家の玄関先にツバメが巣を作り、多くの子ツバメが元気に飛び立っていった。石黒地域では、ごく当たり前の風景であるが、この地域では珍しさも加わり、我が家だけでなく近隣の方々とも少なからず安らぎを共感していた。

ところが、3年目のことである。自然界では予想もしないことが起こるものである。もうじき子ツバメが巣立という時、夜中に蛇に襲われた。自然界の出来事とは言え、真実を認めるには時間を必要とし、つらい時期を過ごすこととなった。

4年目に入ると、再びツバメが飛来し営巣を始めたが、それまでとは全く異なった現象が玄関先で展開した。最初のカップルが営巣を始めると、異なったカップルが来て古巣の争奪戦が始まり、営巣作業とまでは進まなかった。そうこうしている内にゴタゴタの中に雀のグループが入り大騒ぎとなった。その結果、土で出来ていた巣は、見る見る内に鳥たちで無残な姿にぶっ壊されてしまった。その後は、巣の消えた玄関にはツバメも雀も姿を見せなくなった。寂しさもあるが、蛇の悲しい事故を考えれば、これで“良し”と、内心喜んでいた。

 

それから5年位経ったであろうか。今年6月下旬頃から、我が家の玄関先で数羽のツバメが飛び交い始めた。忘れたころに・・・と思っていると、以前の巣の面影が残っている壁の同じ位置にアッと言う間に、土を運び立派な巣を作ってしまった。この近傍にはみかん、ぶどう・ふきなどの畑は多いが田んぼは限られており数も少ない。厳しい環境下でのツバメの優れた営巣能力には、改めて感心した。以前の不幸な出来事が、頭の中を走るがツバメの行動力は速く、迷っている間はなかった。この上は、出来るだけ見守ってやることにした。

 

巣が出来ると、間もなく、親鳥の卵を抱く姿があった。しかし、巣を離れることが多く、まさに、いい加減で適当にやっている感じがした。心配していると7月5日割れた卵の殻が2個地面に落とされていた。予想通り、今年のひな誕生は見られないだろうとあきらめた。

7月8日、巣の中にヒナが誕生しているらしい。夕方親鳥が餌を与えているところを発見、どうも2羽らしい。7月12日、親子ツバメの餌の受け渡しより、3羽以上を確認。7月13日、4羽以上を確認。毎日1羽ずつ増え、巣の中が賑わってきているようだ。7月14日、東海市文化協会写真部代表のTさん(妻の友人)が珍しい出来事だと言って、カメラ撮影に来宅。撮影の折に5羽いることを確認。夕方、散歩から帰宅すると、1羽が巣から約2.5m下方の地上に落下しており動かず。拾って巣へ戻す。7月15日、早朝、1羽が巣からぶら下がって羽ばたいている。片足で巣の端を懸命に掴んで、今にも落下寸前の状態。あわてて、ヒナを巣の中へ戻してやる。ヒナの数と巣のサイズがあっていないのか、それとも兄弟同士の生存競争の果てか。巣に戻したが元気なし。昨日落下したヒナと同じヒナかは不明。しかし、夕方には5匹とも元気に大きな口を開け親鳥に餌を要求していた。鳴き声も一段と大きくなり成長の早いことを知る。7月16日、再びTさんがご夫妻で来宅、写真を頂く。素晴らしい出来映えに関心。しばし、ツバメ家族の子育て情景をみんなで観察。更に妻の友人2人来宅あり、同様にツバメの活動に見とれ、しばし時間を楽しむ。(後日、分かったことであるが、抱卵時、適当に親鳥が巣を離れていたのは、産卵日の異なる卵の孵化時期が出来るだけ近づくように調整していたらしい)

7月17日、起床すると、毎朝、聞こえていたヒナの鳴き声がない。巣を見ると、巣は空っぽになっていた。ヒナは1匹もいない。家族全員、言葉を失った。

 

蛇の仕業であろう。大自然の中の営みとは言え、何もしてあげられなかったことが残念であり、また、何とも悲しい。懸命に、早朝から夕暮れ迄、休む間もなくヒナのために餌を運ぶ親鳥の姿を見ているだけに、この現実を受け入れるには、私ども家族にとっても余りにも厳しい。ツバメの体重は、約17gと言う。小さな体で、東南アジアから数千qの海上を飛翻して日本にやってきた渡り鳥である。今回は、元気に巣立ちするまで、しっかりと観察するつもりであったが、実に無念である。ツバメの両親と、5羽の子ツバメの冥福を心から祈る。

7月19日、不思議なことがあるものである。朝方、前の電線に7羽のツバメが止まっていた。ひょっとすると「5羽のひなが立派に巣立ったのでは?」と家族で顔を見合わせた。昨夜まで親鳥の餌にすがっていた子ツバメたちの姿を思うと、かなり無理な空想かも知れない。しかし、今朝の眼前の現象を心の片隅に置くことで、ささやかな安らぎを感じさせてもらっている。まさに、厳しい自然界の畏れ(おそれ)の一端を覗かせてもらったような気がしている。

 

おわり