ひとらごと   DATE20180607

 

      急がば回れ(その2)
                    大橋末治
 6月下旬、孫の中学校最後の合唱会があるということで誘われ参加した。5年生から中学3年生まで全生徒が参加する大会で想像以上の活気ある大会に驚いた。私が中学の頃は、男子は「声変わり時」と言われ音楽教科内の合唱参加はカットされていた。当時は、これ幸いと大いに喜んでいた。しかし、未だに唄が下手なのは、この時の影響かも知れない。

大会方式は、学年間対抗で専門家、教師、学年代表などによる評価方式であった。対抗戦と言うだけあって、各生徒の力の入れようは眼を見張るものがあった。その証拠に、休憩時間にトイレに行くとトイレまでの廊下は、各教室の最後の調整練習で埋まっていた。さしずめ、入学試験のような真剣さが漂っていた。その場には、先生の姿は見られなかった。更に驚くことに、女生徒がグループを先導していた。これは、指揮者やピアノ伴奏が、ほとんど女生徒だったことでもうなずける。中学時代は男性よりも女性の方が体格も良く、実に、頼もしく感じた。各学年の発表した合唱は、素人目にもとても上手いと感じた。それも、上級生ほど上手かった。合唱の評価など、とてもできる才能は持ち合わせていないが、25〜30人の合唱が一人で唄っているように調和して聞えたのが、その理由である。女生徒の全身を駆使した優雅な指揮ぶりも印象的であった。

演奏が終了すると、専門家の講評があった。お話の中に、全国大会で常勝しているという中学校(大阪府)、高校(奈良県)合唱部の日頃の取り組みについての説明があった。私は、直ぐに「優れた音楽の先生や猛烈な長時間の発声練習などが背景にあるのでは」と思った。ところが、何れの学校も「担当の先生は国語や社会科の先生、選曲は生徒主体で決定、詩の理解は朗読に始まり、その感想文を全員が提出し読後感を十分な時間をかけて話し合う、その後の練習は生徒主体で展開している」とのことであった。これらのことは、青山大学駅伝チームの「会話力の育成」即ち「急がば回れ」の育成方針に類似している。

過去のことになるが、授業中は眠っていた学生が、自分の研究テーマ(私の室では“人力飛行機の設計製作など”)になると昼夜問わず、時間を忘れて没頭している姿が重ね合わされてくる。遠回りになると感じられても、「やらされる」より「自ら興味を持ってやれるようにする」と言うことが、結果的に最良の成果を導く、と言うことを改めて納得させられた。そして、今大会で、貴重な体験をしている生徒たちの行動を観るに付け、昨今の若者たちが将来に向けた「かけがえのない大きな収穫」をしている姿を肌で感じることが出来、明るい気分で会場を後にした(関連各教育関係者に多謝)。(20180707)

                    おわり