ひとらごと   DATE20170511
  

          戦争体験者の声を

大橋末治(2017.5.10)

書き出しから、個人的な話が入り恐縮ですが、静岡県御殿場市にいる兄と久し振りに電話で話をする機会がありました。兄は、もうじき91歳になる。喜寿を迎えた私とは、可成りの年齢差がある。「90歳を超えると大変だろうね」と言うと「自分も初めて迎える坂(年齢)なので良く分からないんだよ」と返ってきた。言われてみれば、誰しも新しく迎える齢は初めてで、年齢に関係なく同じ感覚なのかも知れない。しかし、現実は厳しく、電話の向こうでは、耳が聞こえないらしく何回も同じことを聞き返した。目も見えなくなってきたと言う。

会話の中で、ひときわ印象に残った言葉があった。「齢を重ねるにつけ、やるべきことも少なくなり、いろいろ過去のことを考えることが多くなった。最近の出来事は、すぐ忘れる。しかし、若い頃の出来事、特に戦争のことは事細かく思い出される。その中身については自分でも不思議なくらい良く覚えている。それに、“君が代“や”進軍ラッパ”や“岸壁の母”など戦争に関わる言葉や音楽を聴くと“全身が震え硬直”してしまう」とのことであった。思い出は夢にまで現れるらしい。因みに、兄は海軍であった。現在は、呼吸補助器具を身に付けての生活中である。

私の家族でも5人(父と4人の兄)が出兵している。昭和20年の終戦時5歳であった私は、空襲時には「フレ(伝言)」が回ってくると雨戸を閉め、下方のみ照らす暗い電球に代え、静かに時の経るのをこわごわ待っていたこと。終戦時は、兄たちが返ってきて家の中に入る時、ぼろぼろの服にノミやシラミが多く付いており、家に入る前に母が服を脱ぎ捨てて入るよう要求し、直ぐ入浴させたという話を何となく覚えだす程度である。それ以外は、ほとんど戦争に関する記憶がない。その後も、家族は食べること・生きることが精一杯で、戦争について語り合うことなどなかった。

多くの戦争体験者は、戦争の話を人に話したがらないらしい。人と人の殺し合いである。察して余りある。米国軍人でも参戦後、帰国し精神的病魔に苦しんでいる人が多く、自殺者も少なくないと聞く。

最近の国会は「憲法第9条」の件で怪しい雰囲気が再現され出した。北朝鮮と言う理解に苦しむ行動を実際にやって見せる国がすぐ隣にいては、日本国の舵取りも可成り難しいことであろう。4月下旬、北朝鮮がミサイルを発射し失敗したものの、日本国内では東京の地下鉄が閉鎖されたり、誤った情報が流されたりした。一つ誤れば、大惨事と隣り合わせの昨今である。

ここで大切なことは、全ての戦争体験者が言っている通り「日本国は、絶対に二度と戦争をやってはならない。戦争は解決の手段にはならない」ということを一人ひとりが肝に銘じることだと思う。戦争経験者が高齢化し、体験を聞く機会も限られてきた。是非、戦争体験者(戦地に赴任された人だけでなく、留守を強いられた方々も含め)がお元気な内に貴重なご意見をご投稿頂き拝読させて頂ければと願っている。

おわり