ひとらごと  DATE20150314

      

         それぞれの居場所で声を!

大橋末治(平成27年3月14日)

地面を見つめていると、小さな草花の芽が次々と眼に入ってくる。昨今の暖かさで庭の紅梅も咲き、草や木が一気に春を告げ出した。幼き頃、飼っていたヤギやウサギが喜び勇んで木の芽やタンポポなどを手からもぎ取るように食べた姿も脳裏を走り、実に懐かしい。長期間の厳寒の冬から脱皮する雪国の春は、雪国の人しか味わえない豊かな春を連想させる格別の感がする。

3月に入り、東日本大震災から4年を迎え、関連事項がTVや新聞などで大きく報じられている。特に気になるのは「原発事故」に係る問題である。被災地の復興は徐々に展開中のようであるが、福島県では今も約12万人の方々が避難中とのことである。これは大都市の人口に匹敵する数である。さらには、この数字の陰に隠れている原発事故によってより深刻な厳しい生活を強いられている方々を加えると想像を絶する数になると思われる。

飛行機や車の事故は現物で事故原因を徹底的に究明し、同種の機種へも改善を反映の上、より安全な姿で提供される。しかし、原発事故は、これらの事故とは全く異なり事故現場へも行けず、近づくことさえ不可能である。その上、東電は政治家が決めたこと、政治家は東電がしっかりやらないから、頼りの審議会(科学者たち)は想定外などと詰めの甘さの反省を見せたものの何とも歯切れが悪い。結局、どこも責任を取らない無責任体制ではないか。実は、私も現役時代は原発の素晴らしさを聞かされ、必ず原発時代が来ると信じていた。それに、幾重にも安全対策が成されており、事故への備えは完璧であるとも思っていた。

しかし、「実際に原発事故が発生し、100%の安全性は存在しないこと」、「プルトニュウム239の半減期は2万4千年で、一度事故が発生するとほぼ未来永劫に危険を及ぼし、その範囲も大きいこと」、「核の最終処理技術が及ばず、年々“核のゴミ”が急増中であること」、「実生活では、現に原発無しの再生自然エネルギー活用で夏・冬とも乗り越えていること」、さらに「太陽光・バイオ・燃料電池技術など将来性のある原発の代替案があること」などを知った現在は、速やかに脱原発をすべきと願って止まない。

最近、原子力関係者からは「100%安全」と言う言葉がなくなってきたように思われる。しかし、政治家はしっかりとした「安全基準」があるから大丈夫と言葉を換え、経済優先の下、強烈に原発を展開する方針のようである。柏崎原発を抱える泉田新潟県知事は「原因究明が不十分なままでは、再稼働に関わる議論には入れない」と言い続けている。地盤に課題があり40mも掘削して建設された原発としては、大いに気になるところである。もともと「生物の生存に係わる問題」と「経済性」を同一次元で論じるべきではないとも考えている。

ドイツの脱原発化は住民の力が大きな政府を動かしたと聞く。ひとり一人の力が、それぞれの居場所で声を上げ続けていくことが脱原発に、そして生物が安心してこの地球上で生き延びていくことにつながることと信じている。知らないことだらけの原発であったが、知れば知るほど不安が広がり恐れを感じている。知ろうとしなかった自分の怠惰な習慣病の怖さを思い知らされ、筆を執りました。ご一考頂ければ幸いです。

雪国の春には、もう少し時間がかかると思いますが、雪国の方々・被災された方々ともども豊かな自然の恵みを満喫頂きたいものと願っています。
                       
(愛知県在住)