ひとらごと  DATE20140721

       

         次世代のために

大橋末治

少々堅い話になり恐縮ですが、読み流して頂ければ幸いである。

政治に係ることは、素人で良く分からないが、最近、国会を取り巻く情勢は激変しつつあり気がかりなことがある。一つは「国の平和」、もう一つは「環境維持」である。


1.国の平和について(世界に誇るべき憲法9条)

1944(S19).7.18、軍隊を志願した3人の息子宛の母(41)の手紙が福井県の新聞に掲載されていたという。「・・・たった3人の男のうち2人を空へ、そして1人を陸軍へ送った母は、誇らかな気持ちで一杯です。母は今やっと貴男たちをお国へ返し、そして空へ送り出したのです。今母の願いは、一日も早く貴男たちが第一線へ飛び出して、あのサイパン島の憎い敵をサンザン叩いてもらいたいのです。・・・訓練の邪魔になるといけないから母は一切面会には行きませんが、必ずこの温かい愛情で遠くから貴男たちを護っています。」しかし、実際には、サイパン島の約3千人の日本軍は77日に玉砕攻撃を仕掛けたが、米軍の攻勢下で、既に壊滅していたとのことである。このご家族のその後のことは、知るよしもないが、どんな戦後を迎えられたのであろうか。国の一握りの指導者の誤った政策に躍らせられていた民の苦渋が察せられ、耐え難いものがある。残念ながら、最近の政府は一握りの指導者の判断の下で、過去の悲惨な戦争体験を軽視しているように思えてならない。

少し前、政府は「憲法9条に手を付けるのは困難なので、99条から・・・」と言っていたが、多数派の下、瞬く間に9条の解釈変更を閣議決定してしまった。「政府は限定的な参戦なので・・・」と言っているが、戦争に限定的な戦いなんてあるのだろうか。一旦参戦すれば、こちらがその心算でいても、相手は敵の区分などする筈がない。敵国は最も効果的な打撃目標を定め(原発設備、国の中枢機関など)攻めてくると考えるべきであろう。戦後70年近くなるが、日本は日本国憲法の下、戦いによる死者を一人も出していない。これは先進国家では唯一の国家であり、世界に誇る素晴らしいことである。被害者としての不戦だけでなく、加害者としても武力による行為は永久にしないという9条は、まさに最高傑作条項である。それに反し、国会での政府の「集団的自衛権」の解釈改憲の答弁には、例えようもない畏れを感じている。


2.環境維持について(脱原発はいずこへ)

原発を考える時、人類(生物)の生存にかかわる問題と利便性(コスト云々)とを同列に論じて良いのだろうか。しかも、原発は現状の科学技術では制御不可能で、かつ発生する有害物質の寿命は生物のそれと比較できないほどの天文学的な数値である。津波被害を受けた原発設備1基の廃棄でさえ百年以上と言われている。その上、最悪なのが廃棄物の山である。廃棄物は処理不能で埋設場の確保さえもできないのが実情である。

大きな津波が襲えば「想定外の出来事であった」といい、火山が襲えば同じことを繰り返すであろう。もともと大自然界で人が制御できることは、ごく限られている範囲と考えるべきではなかろうか。そう考えると、原発は科学技術で制御可能となったその時に着手すべき設備であると言わざるを得ない。 

国の一握りの指導者の判断ミスで遭難する日本丸にはしてはならない。この時節こそ、与野党にかかわらず、議員各位には国会の場で気概を発揮して欲しいものである。その議員を選出するのは私たち自身である。改めて、選挙の重要性を再認識し、お互いが「最高傑作の9条」や「美しい日本」に恥じないよう心したいものである。