ひとらごと   DATE20140322

 

              なまりと方言
                        大橋末治
桜の開花が待たれるこの頃ですが、若い方々の就職も間近に迫っていることでしょう。今回は半世紀以上前、私が入社した時の「なまりと方言」に関わるほろ苦い体験を、ご参考までに記させて頂きます。

入社時の社内教育で(大先輩講師からいろいろな質問があった)。
「君の出身高校は?」      突然指名された。
「柏崎・・・高校です」     緊張の中で答えた。
「もう一度言ってくれたまえ」  声が小さかったかと思い大きめに答えた。
すると、「カスワザキ・・・高校か」と言って大先輩たちが顔を見合せてクスクス、ニヤニヤ。この時まで、自分の言葉がなまっているとは一度も思ったことがなかったのに・・・。 続けて、
「親兄弟姉妹は何をやっているか言いなさい」
「両親は農家で、兄弟姉妹(キョウダイシマイ)は10人いて、一番上の・・・ 」すると、「住まい(スマイ)はいらない、それに長男だけで良い」
と大先輩が言葉を割って入った。すると、たちまち周りは先ほどより大きなクスクス声に埋まった。しかし、これで場が和み、何となく話しやすくなったことを思い出しています。
 
配属後は研究・開発部門に配属された。そこでは現場作業が多くいろいろの実験準備を先輩諸氏から教わった。作業中に私が、
「さあさぁ、さっき、それはあそこに忘れてきた」というと
「さあさぁ、なんて言う部品はないよ」と、先輩も分っていながらからかった。とっさの言葉のため、ひどい時は、「さあさぁ、さぁ、さぁ、・・・」と、この軽快な言葉が繰り返し口から飛び出ていた。
その外に、自分の石黒弁には頭高アクセントで発音する下記のような幾つかの言葉にも特徴があったようだ(太字下線は高いアクセント部、カタカナは石黒弁? カッコ内は都会弁?)。通常の会話中に、これらの言葉が出てくると、しばし間ができた。そして、顔を見合せては、ニタッとなった。
イチゴ(いちご)、スズメ(すずめ)、ウサギ(うさぎ)、タンボ(たんぼ)、ハシラ(はしら)、クジラ(くじら)、ツバメ(つばめ)など。

入社後約40年を経て、企業退職後赴任した大学では、学生から私の言葉には、なまりや方言がないと言われ一応安堵していた。しかし、とっさに出る言葉として、ある日、私が学生に、「研究室からコウモリを持って来て欲しい」と言った。研究生たちは目を丸くして「きょとん」としていた。動物のコウモリと思ったらしい。「こうもり傘を」と言い直すと、相手も直ぐ分り、周囲の数人を含めて笑顔に変わった。帰宅し家人に話すと皆にも笑われた。
石黒では「コウモリ(こうもり傘)」と「傘(菅傘など)」と「カラカサ(竹ヒゴに油紙を張った傘)」は区別して使っていたように思うのだが、我が家だけだったのだろうか?

気が付いてみると、最近は田舎弁が自分の口からほとんど出ていないのに気づいた。使わないのでなく、使えないのである。そればかりではない、石黒村時代の屋号でさえ、ほとんど思い出せない。その反面、前述のような極少ない単語であるが、日常生活に関わる言葉として、サアサァ、コウモリ、テショ(小皿)などは、今も家族に笑われながらも使っている。 その上、家では妻は名古屋弁、時折り帰省する娘・孫達は京都弁でかなり賑やかである。
自分の言葉の変遷を顧みる時、半世紀は余りにも遠い昔のことであったような気がする。一方、気にしていた「なまりや方言」は、時に場を和ませる良き特効薬であったと思っている。残念ながら、現在、私は自由に石黒弁を使えなくなった。しかし、聞くことは出来る。過日、同級会などで「さあさぁ、忘れてきた」などと話合っていた友人たちを思い出し、一人で、ほくそ笑んでいる。

                       おわ
(平成26年3月20日)