ひとらごと  DATE20131220

          

     せんぜぇぃ(家周りの庭畑のこと)

大橋末治(2013.12.18)

最近の日本の平均寿命(2013.7.25現在:86.41歳・世界1位/女、79.94歳・世界5位/男)の延びは、すさまじい。素晴らしいことである。

医学の進歩、衛生面の向上、幼児の死亡率の低下など多くの課題が改善された成果と思う。国内では男女とも長野県が第一とのことである。長寿の要因は、その道の専門家がいろいろ評価し論じているが、本当のところは未だ研究段階のようである。

 

長野県の長寿に関するお話として、車の中で流れるラジオ放送を耳にする機会があった。どなたの説か聞き損じてしまったが、その人曰く「長寿の要因として“ぜんぜぇぃ”の効果が大きい」とのことであった。半世紀以上田舎を離れ、忘れかけていた「せんぜぇぃ」と言う言葉そのものにハッとした。そして、その忘れていた言葉を「石黒の昔の暮らし編集会」発行の「ブナ林の里歳時記」を開いて調べた。「せんぜ」と思っていたが「せんぜぇぃ」の方が正しいようである。今年の流行語大賞の「じぇ、じぇ、じぇ、」となんとなく似ている気もするが? しかし、一気に懐かしさがこみ上げた。

この「せんぜぇぃ」が長寿要因の一つということには、私も全く同感であり、嬉しい気分になっている。私の母も姉たちも「“せんぜぇぃ”で働ける間は、病気知らずにおれる」とよく言っており、暇さえあれば「せんぜぇぃ」で土を耕したり、タネを蒔いたりしている姿を見た。野畑へ出かける際の家へのちょっとした出入り時間帯でも、雑草を取ったり、野菜のサク上げをしたりなどをしていた。時には食事の準備中でも、よく包丁を持ったまま、ナスだ、キュウリだ、ネギだと「せんぜぇぃ」を走り回っていた。勿論、雨の日でも新鮮な野菜類を手にして家の中へ走って運び込む姿もあった。まさに、せんぜぇぃ」は四六時中、誰にも遠慮なしに動き回れるストレス解消の場でもあったようにも思われる。

 

私事で恐縮ですが、母は88歳で、一番上の姉は91歳で、それぞれ天寿を全うした。特に、姉は豪雪の石黒の冬を凌ぐことができず、近年は子供の住む都会へ冬越しに出かるのを常としていた。私は久しぶりに帰省した折り、姉を尋ねるとシャベルを手に作業中の「せんぜぇぃ」で迎えてくれた。そして、姉は「老いには勝てず、今年も雪が来る前に石黒を離れるが、木の芽がふく春には帰省し“せんぜぇぃ”で働くのを楽しみに頑張る」と言っていた。「できるだけ雪が来る間際まで石黒にいて、雪がとけるのを待って、できるだけ早く帰りたい」とも言っていた。私も「姉の田舎生活中に昔の話を聞きに帰るから、その折は、よろしく」といって別れた。しかし、今年の1月、姉は夢を膨らませていた田舎の「せんぜぇぃ」に立つことなく急逝してしまった。 雪が解ける春には、姉が家の周りに丁寧に育てていた梅や桜や草花が厳しい冬を越し、首を長くして待っていたことだろう。さぞかし、無念であったと察している。一方、母・姉とも長寿を全うできたのは「せんぜぇぃ」効果の賜物と思っている。

 

「ぜんぜぇぃ」とは、一般に野菜類を採る畑を指していたと思われるが、実際には「ぜんぜぇぃ」の周りに、柿・栗・桃・梅などの果樹やシバを立てて育てる弦をもつ大型のヨウゴ(夕顔)などいろいろな植物もあった。一方、馬・牛・ヤギ・ウサギ・鶏などの家畜もおり、タネ(池)には鯉もいた。よって、「ぜんぜぇぃ」は、新鮮な野菜類・適度な運動はもちろんのこと、清潔感を優先した都会生活に比し、ウサギや鶏などの家畜との生活も包含し、人の免疫力も育成される機能をも併せもっているため、長寿の最有力要因となったのではないだろうか。これは、私の懐かしさからくるものばかりではないような気がする。

              (写真-90才の夏−編集会撮影掲載)