ひとらごと DATE20121125

            狭間(はざま)

大橋末治

 過日、友人と談笑していた時、少々大げさだが、この年代になると「程度の差があるが、みんな一度は天国と地獄の“狭間”を体験してきたんだね」と言う言葉がでた。

“狭間“という言葉(言葉というより感覚)は、田舎にいた頃、主に季節の移り変わりに使われ、季節感を端的に感じる好きな言葉であった。例えば、「ハレキ仕事、木の芽がはねる、ノノバ採り」などと言うと長い厳しい冬の生活から春を迎える”狭間“にあることを体で感じた。この感覚は春夏秋冬の”狭間“年に4期間体感することができた。特に、雪深い山村では、冬から春にかけた時期は半年間の真っ白い一面の雪の世界から土が見え出し、動植物の全ての生物が活動をはじめる頃であり、春を迎える気持ちには特別な思いがあった。その他の四季感においても、誰しもがやがて訪れる季節に対し敏感に反応し、この”狭間“を楽しみ興味深く迎えていたと思う。 

 ところが、最近、この“狭間”から感じられることは、暗いイメージが多くなった。例えば、「大飯原発が必要だったか試算してみた・・・アナログとデジタルの狭間で・・・」とか「米朝日中の狭間で抱える戦略の危機・・・」とか「福島原発事故でも周辺住民は、今なお長期にわたる健康被害に苦しみ、事故との関連が認められず切り捨てられている。それでも明日の復帰に夢を託し生と死の狭間で頑張っている」など。 

 国内でも、最近、衆議院が解散され大きな変革の時期を迎えようとしている。まさに、これから日本国が迎える政変の“狭間”にある。政治のことは良く分からないが、「強い軍隊や制御不可能な原発を持つこと」が良い国になるとは誰しも思わない。現在の日本は、戦後67年間、平和憲法の下で他国と武器を交えて争うことなく、世界一安全で豊かな国になったことを今一度噛み締めてみることも大切と思われる。国会には後悔しない議員を送り出したいものである。来る選挙では、一人でもがいても結果は変わらないとあきらめず、小さな種をしっかりまき(まかぬ種は生えぬ)良き世の中や政治を迎える政変の“狭間”であって欲しいと念じている。
                           以上
   (愛知県在住)