ひとらごと   DATE20120512

 

                時越え−ときごえ

                                  大橋末治

「やあ、へさだっけね!」という懐かしい石黒弁のお世話役に迎えられ、私は昨年晩秋(2011年)、石黒で開催された同級会に参加した。11年振りの同級会出席であった。参加者の中には中学校卒業以来、56年振りに会う人が数人いた。特に、女性は名前を聞かないと分からない人もいた。お互いに「屋号」と「名」を告げ会い同級会と言うこともあり、周りを気にすることなく賑やかな会話に花が咲いた。この光景の中で、私の脳裏には、男性は「丸坊主」、女性は「おかっぱ頭」の中学生の姿が浮かび、しばし懐かしき郷愁に浸らせてもらった。しばらくして現実に戻った時、私の頭の中をよぎったものは、眼の前の現実と大きな隔たりがあり少々戸惑った。私は「半世紀以上の“時越え”をいっきにしてしまったのか!」と何とも言えぬ不思議な想いに陥った。出席者の誰しもが、少なからず同じような気持ちになったに違いない。

 

会では各自が小中学校時代の思い出や現状などを語り合った。この年齢になると話は健康や旅行や自然相手の趣味や孫のことに集中した。何れの話も71年間の含蓄のあるもので心に響くものが多かった。中でも「志望校入試を失敗したお陰で今がある。入試の“失敗”と言う言葉は人生進路には当てはまらない」「貧しさと何時も同居していたが、今考えればこれが自分の人間形成の宝物となった」「途中編入クラスでは田舎者の学力不足をバカにされ、必死で追い付いている内に追い越していた」などのお話があり、それぞれが不運材料を「自分を奮い立たせる糧」に変え、努力して現在に至ったとのことである。子どもの頃の「失敗」「貧しさ」「厳しさ」など負の遺産を悔いる人は一人もいなかった。

「貧しさは、人をつくる」と言われている。顧みれば、昭和30年頃までは周りのみんなが貧しかったので、自分の貧しさが気にならなかった(精神的安定)。村には「トウド呼び」と言う助け合いの習慣があり、貧しさの中ではお互いが助け合わねば生きていけないと思っていた(人の絆)。物がなければ直ぐ買うのでなく、先ず周りにある物を活用し、代用することを考えた(知恵と感性の育成)。自分自身のことより、親や家族のことを先に心配した(感謝)。三世代同居の実生活を通して、子どもの頃から先人達の生き方を学んだ(人の道)。

今回、同級会に出席し、みんなの生きざまを知り、改めて良き郷土で良き時代に生かされてきたものと感謝している。

 

宴会の翌日、お世話役の計らいで「からむし街道まつり」に参加させて頂いた。生憎の雨で十分な散策は出来なかったが、石黒の旧家のたた住まいなど堪能させて頂いた。黒光のする大黒柱、カギツキのある囲炉裏、馬がひょっと顔を出しそうな土間のある玄関など懐かしさを誘うものが沢山あった。また、長時間の人手を必要としたと思われる手作り品、郷土色豊かな展示品、丁寧で親切な案内など想像を超える沢山の出会いがあり、関係者の方々のご努力は、察して余りあるものを感じた。

 

今回の里帰りを通して、ほぼ半世紀前の懐かしい石黒村時代の空気を腹一杯に吸わせて頂き、何故か「時越え」という感を強く抱いた。

日本の人口は明治維新以後の140 年間で4倍に、昭和の初めからの75 年間で約2倍になったそうだ。人口規模は今がピークであり、今後100 年で半減して昭和初期の水準まで戻ると予測されている。これからの人口減少過程では今までのような経済発展は望めない。今までの便利さを最優先させた生活は見直され、人としての豊かさを満たす環境問題とバランスのとれた生活形態の実現に方向転換されていくものと思われる。

みんなが貧しく、自然や家畜と共に生活していた半世紀前が新しい理想に近い社会構造かも知れないと見え隠れする。「古いものが新しく感じられ、新しいものが忘れられていく」そんな世の中が直ぐそこに来ているような気がする。確かな未来が懐かしい過去にあり、過去を見直しそれに挑戦することが人としての未来への新らしい道を切り開いていくのかも知れない。

現在、日本は原発事故への対応、先の見えない核廃棄物処理など制御不可能な状態にあると言っても過言ではない。その上、これからの人口減少状況下では大きな経済発展の必要もないと思われる。これからの日本のエネルギー政策は、3.11原発事故を機に原発を廃止し、自然エネルギーによる政策展開をすることが最良の選択肢と考えられる。人が真の豊かさを実感する上で、たかが半世紀前のことであるが、石黒村時代が理想郷の一つに近いのでは、と考えるのは私だけではないような気がする。

 

以上