ひとらごと   DATE2011217

 
                   風はり

 寄合集落の川向うの棚田「風はり」(寄合の作場の地名)を初めて訪れたのはもう10年も前のことになる。その日はHPに掲載する動植物の撮影にでかけたのであった。
 9月の爽やかな秋晴れの日であった。風はりへの道は、寄合の屋号「松衛門」の土蔵脇の農道を下って石黒川にかかる橋を渡ると東西に分かれる。この道は「風はり」の棚田を一周していて、どちらから行ってもこの橋に戻る一本道である。

 
 風はりから寄合集落を望む
 私は左手の道から上ることにした。百メートルほど進むと道は右にカーブするが、このあたりからは黒姫山を背景にした寄合集落が一望できる。(左写真)
 その先の道は、左手は森林組合によって植林された見事な杉林、右手には、「風はり」の棚田が段々と西寄りに連なって山の頂まで続く。頂上からは、男山、黒姫山から地蔵峠、鷲巣山までの山並が眺望できる。
 私は思わずしばらくたたずんでその景色に見とれたことを憶えている。その後も何度か訪れたが行くたびにその棚田と周りの美しい風景に心を打たれた。
 また、この一帯は、その昔は門出村との入山争議の舞台でもあった。高柳町史掲載の古文書(1723)には「かみ風はり、おお風はり・・・」などと「風はり」の地名が随所に見られる。
※参考資料→請山絵地図(享保8年)
 このことから、祖先たちがこの地に畑や水田を切り開くには、肉体的な労力は言うまでもないが、争議に関わる精神的な苦労も並大抵でなかったのではなかろうかと推察される。その後、実に二百年余も田畑として毎年耕作され続けた寄合集落の中心的作場であった。

 しかし、今日、この「風はり」がまさに茫々たる原野に還ろうとしている。極限まで進んだ過疎化による村人の高齢化がその存続を許さないのだ。
 年々、草木におおわれていく「風はり」の光景は目をそむけたいほどである。なんとも寂しいことではないか。このままだと第二、第三の「風はり」が出現するのは目に見えている。
 山国日本における棚田の荒廃は国土の荒廃に外ならない。一体、この国はどうしたのであろうか。
 大災害、不況と続く国難ともいうべき時に、予算委員会が与党の揚げ足取りに終始するような今の政治には余り期待はできまい。
 とはいえ、現在、「農事組合法人石黒」など、石黒の棚田を十年二十年先までつなげていく真剣な取り組みもなされていることも事実であり喜ばしいことである。
 こうした組織が中心となって、内外の多くの人々が、その重大さを知り、力を結集することによって後継者確保に何としても成功してもらいたいと願うばかりである。
 口幅ったいことを言えば、今日、政治が変わる望みがないのであれば、私たち国民の一人一人が変わる他に手はないということになろう。

  動画資料→風はりの棚田

                        文責 大橋寿一郎