ひとらごと   DATE20110405

         感性・・・春を迎えて思うこと
                           大橋末治
「雪が解けると、何になる?」との問いに、即座に“・・・水になる”と一斉に答える生徒の中で、一人だけが “・・・春になる”と答えたという。数年前のことで、時・所など定かでないが、長野県の片田舎の小学校で上記のような問答があったという新聞記事を読んだことがある。正解は「水」で「春は」間違いとした先生は叩かれ、一方、「春」と応えた一人は、これこそ素晴らしい感性と誉め称えられていた。これを読み、若し、これが石黒小学校だったら、同じ問いに、理科の授業で雪を溶かす実験をしていない限り、全員が“・・・春になる”と応えるに違いない。とすると、真に、石黒村は、感性豊かな素晴らしい子どもの宝庫である。

 私ごとで恐縮ですが、小学高学年の頃と思う。「春になり 木の芽のはねる 音がする」という句を提出して、ただ一度だけ先生に誉められたことがある。どうも“・・・芽がはねる”という言葉の響きが良かったようである。当時、石黒村ではこのような素朴な発想(表現)を子供の誰もが持ち合わせていた。当たり前のように表す感性豊かな言葉や動作は、素晴らしい大自然の中で、無意識のうちに、常に育まれていたように思われる。

岡本太郎画伯曰く、「絵で面白いのは三歳まで、それ以降は人の手が染まり観るに耐え難い」とのこと。素人ながら分るような気がする。展覧会場では説明を聞いてから観ると良く分かる。しかし、それは分かった心算になるだけで、真に自分の感性で観ているのではない、ということに後で気付く。効率を求める昨今では、分かっていても耳が痛い。
ひとごとではない。パソコンに頼る自分もパソコンがないと文章が書けなくなっている。「自分の顔が歪んでいるのに鏡を責めても」と思う。この歳になると、美しく飾られた花瓶の花よりも裏の土手や川辺で凛として咲いている小さな草花の方に気がひかれる。折に触れ、価値観・考え方など、これからも気にしていきたいものである

昭和20年代の石黒村は、馬や牛と共に働き、裸足中心の生活、無医村、日常茶飯事の停電、村中で電話4台、自転車に乗れるたった一人の看護婦さん、馬で登校する先生、大八車の消防ポンプ、バスはなく何処へ行くにも歩き、おまけに冬季は3mを越す豪雪、まさに閉ざされた陸の孤島と呼ばれる山村だった。村の生活は必然的に自給自足が中心であった。そんな中では、現在のような電波からの情報はほとんどなく、自然と共に生き五感に頼るしかなかった。自然よりも過度で偏った電波情報に浸る現代っ子の感性は、この先どうなるのだろうか。

 ―感性を唱えつつ、慣性(惰性)で生きている一老人よりー 
               (愛知県在住)