ひとらごと   DATE20090204

 
       藁蒲団と馬屋と花粉の思い出
                           大橋末治
 私は昭和15年生まれで、中学を卒業する昭和30年まで下石黒で過ごした。中学生になる頃、家が改築された。それまでは馬屋(うまやと言った:当時は何処の家でも馬や牛を飼っており、その家畜の部屋が母屋の中の一部にあった)に隣接した北側の部屋で寝起きしていた。頭が北側になるのを避け、南側にしていたため枕側が馬屋になっていた。馬が餌を欲しがって餌桶をガタガタさせたり、脚で壁をけったりする度に頭上でガンガンやられた。しかし、このような環境でも、毎日ぐっすりと眠るので、一度も寝不足した覚えがない。 さて、馬屋の隣で寝起きしていたのには、それなりのわけがあった。今も、はっきりと忘れられないでいる「気になる思い出」がある。それは、・・・。
「これは夢ではない」と再確認し放尿する。しばらくして、腰のまわりが濡れてきて、ハッと気づく、その瞬間「また、やってしまった」と言って、飛び起きる。今だから言えることである。私は中学生に上がっても、まだ、おねしょをすることがあった。当時は恥ずかしく、人には、とても言えるものではなかった。勿論、母が父兄会で学校に出かける時も、決して口外せぬようにいつも頼んだ。母は“わざとするのでないから”と、おねしょには寛大であった。かつ、口外せぬという約束も守ってくれた。
 それどころか、おねしょ対策として大きな布団カバーを作り、その中に藁を詰めて、即製の藁蒲団(わらぶとん:今で言うベッドである)を作ってくれた。この藁蒲団の使用は、隣近所で、あまり聞かなかった。我が家だけだったような気がする(みんなが私のように内緒にしていたためかも知れない?)。しかし、これはクッションも快適で保温性にも優れ、とても気に入っていた。母の優れた考案の一つであったと思っている。藁布団の中身の汚れた藁の取換えは、知らぬ間に母がやってくれていた。お陰で今日まで大きな恥をさらすことなく過ごせた。今は亡き母に改めて感謝している。

 さて、上記の「気になる思い出」の暴露には、過日、NHKスペシャル「病の起源」の放映を観たのがきっかけになった。私の幼少年期の石黒村での生活は、自分の生涯を通して大いにプラスになっていたに違いない、という興味深い実験結果に直面したためである。それは、近年、激増している、くしゃみや鼻水、目のかゆみなどを引き起こす花粉症やぜんそくなどのアレルギー症状に関するものであった。これらの症状は20世紀後半、先進国で見られ激増し、花粉症だけでも3人に一人(3800万人も)の日本人が患う病となっているという。
 急増の原因は、花粉やダニの増加、更には大気汚染などと考えられていたが、つい最近、長年の世界的な調査研究の結果、意外なものに起因していることが解ってきた。それが、馬や牛小屋の空気中に浮遊している「エンドトキシン」と呼ばれる糞や敷き藁から生まれる細菌成分であるという。幼少年期(特にゼロ歳児に効果あり)に、この「エンドトキシン」と触れる環境が少ないと、免疫システムが成熟できず、アレルギー体質になってしまうということである。
花粉症やぜんそくを患っている子の調査結果によると、その患者の数は都会より田舎の子(約1/3)、第一子よりそれ以後の子(第五子では約1/6)、日本よりモンゴルの子(約1/6)が格段に少ない。また、農村が約7割で、人が馬や牛と一つ屋根の下で暮らすことも珍しくなかった昭和30年頃を境に、アレルギー体質は激増しているという。

高度経済成長と共に都市化が進み、家畜との生活は縁遠いものとなった。電気洗濯機が爆発的に普及し、掃除機や冷蔵庫もそれに続き、家庭内の衛生環境も格段に変化した。みんなが憧れ理想とし、やっと求めた超清潔環境(家畜も虫も細菌も遠ざけ、糞などにも触れることのない)が、返って、人の免疫バランスを崩しアレルギー体質を増長してきたのではないだろうか。
 日本の花粉症の9割はスギ花粉症という。昭和30年以前の石黒では、その杉や松などに囲まれていた。花粉の季節には、いたる所で花粉が飛散し、雲のようになって林を覆う現象が見られた。また、多くの家で馬や牛を飼っており、隣近所で一緒に馬を飼い(馬の餌となる草とりを分担)馬屋掃除の時には、田畑の肥料とするため、馬の糞とそれ以外の物を素手で仕分けしていた。当時の筆舌に尽くし難い厳しい田舎の農家の原風景が脳裏に浮かんでくる。
私が知っている限り、栄養状態も悪く、このような花粉軍を常日頃浴びている生活環境にもかかわらず、石黒の方々には花粉症を患っている人の話を聞いたことがなかった。昨今の石黒のみなさんは、どのような生活を送っておられるのでしょうか。勿論、幼少年期、馬屋の隣で寝起きしていた自分は、この先も含め、花粉症とは親戚にならないで済むと信じている。

 人は、いつの時代でもこの地球という星にいる限り、全ての生物と共存・共栄することとなり、決して特別な存在ではあり得ないということを思い知らされている。そして、幼少年期に「石黒村で、かけがえのない貴重な体験」ができたことに対し、心から喜び・感謝し・誇りに感じている。
                
    (愛知県在住 下石黒出身)